2010春・新疆に行きたい心境(その16;スバシ故城)
▲クチャ川のほとりに広がるスバシ故城へやってきました。
2010年3月11日、クチャに仏教が栄えた頃。
新疆クチャのキジル千仏洞を参観したあとは、市内に戻りつつ、町の中心部から20数kmのところにあるスバシ故城を訪ねました。
スバシ故城はクチャ河をはさんで東寺区と西寺区に分かれている仏教遺跡で、紀元3世紀頃に最盛期を迎えた亀茲国最大の寺院であったそうです。玄奘三蔵法師の「大唐西域記」にもその名があり、玄奘法師自身もここに2ヶ月滞在したのだとか。それはきっと7世紀のことですね。
大きな建物の壁だったのか。
「殿堂」という案内板あり。
全盛期には数千人もの僧たちがいたと言われているぐらいですから、敷地はかなり広大です。東寺区が東西146m、南北535m、西寺区が東西170m、南北685mとのことですが、敷地が塀などで区切られているわけでもなく、周囲の礫砂漠と渾然一体となっているので、ひたすらに広いように感じられます。風化がかなり進んでいて、最盛期には建物がいくつも連なっていたであろう寺区には、今はところどころにその名残の土壁などがわずかに残るだけです。
周辺が霞み茫漠と見える。
砂礫の中の廃墟。
この廃墟の中でわずかばかり目立っているのは、仏塔と思われる少々背の高い土塊。階段が付けられているので上まで上ってみることができます。上部には二ヶ所ちいさな窟が穿たれています。中には何もありませんが、かつては仏像が安置されていたのかもしれません。
この仏塔の上からは、遺跡全体を見渡すことができます。チャール・タグという不毛の山の麓からクチャ河へ向かってゆるやかに下る斜面に点々と遺跡(というか廃墟)が広がっているのが360度眺められます。
仏塔らしき遺跡が残る。
この日は天気はかんばしくなく、曇り空が広がる上に、地平線や山の稜線のあたりはぼんやりと霞んでいます。その霞んだ向こうに目をこらすと、枯れたままのクチャ河と、その向こうの東寺区がぼんやりと見えます。今回東寺区には行くことができませんでしたが、あちら側も訪れてみたいですね。
廃墟の向こうはクチャ河。
対岸には東寺区があるはず。
この地にイスラムが入るに及んで、この広大な寺院も滅びるしかなかったのでしょう。ここに集まっていた僧たちは日々どのような生活をし、そしてどのようにちりぢりになっていたのでしょう。千年の時を超えて残った廃墟は何も語りかけてきてはくれません。オアシス都市「亀茲国」の盛衰をともにしたスバシ寺院のなれの果ては、今静かにウイグルの風に身を任せ、風化されるままになっています。夏の青空の下ならもっと違う印象を抱けたかもしれないけれど、3月の寒空の下では、スバシ故城の廃墟たちはただその衰退の歴史に身を震わせているようでした。
▲真ん中あたりの黒い点は人の姿。それから推してこの遺跡の広さがわかろうというもの。