毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「北陸」、高岡駅到着。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185716.jpg高岡駅に到着した寝台特急「北陸」。

 2009年1月26-27日、寝台特急日本海」。

 青森駅を19:33の定刻に発車した4002レ寝台特急日本海」は、すぐに東北本線と分かれて奥羽本線津軽線に入り、我が実家にすぐ近所を過ぎて津軽線とも分かれ、単線の奥羽本線区間を走ります。新青森駅では外観がほぼできあがった新幹線の駅が車窓を横切ります。

 鶴ヶ坂では2045M特急「かもしか5号」との交換待ちで少々運転停車。「日本海」の秋田までの停車駅は弘前大鰐温泉、大館、鷹巣東能代ですが、21:39の東能代到着前におやすみ放送があり、ヒルネ扱いの6号車も含めて車内放送が翌朝までなくなること、車内販売は福井から乗務することなどが告げられて、減灯されました。まだ缶ビールが一本残っていますが、翌朝早く高岡で降りなければならないので、僕も寝支度をしてベッドに入ろうと思います。

 結局2号車は青森発車時から乗客に動きはありませんでした。富山到着の少し前に起き出したときには、関西からの団体さんの数人もすでに起き出していました。
 富山を出てあと通りかかった車掌さんが、高岡で降りることを知っている僕に「3分ほど遅れています」とおしえてくれました。3分程度の遅れなら、後ろから追いかけてきている「北陸」と「能登」との関係には問題はないでしょう。

 高岡到着前に、4人ほどしか乗っていない1号車に移動し、高岡駅のホームには1号車のドアから降りました。まだ真っ暗です。すぐに先頭に回ります。先頭はEF81-108。青森発車時にあんなに雪にまみれていたのに、高岡では雪のかけらもつけていません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185704.jpg日本海」、高岡到着。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185730.jpg 高岡駅、まだ真っ暗。

 わずかの停車時間ののち、「日本海」は高岡駅は去っていきました。そのすぐあとにもう次の列車が続いています。05:51着の3001レ寝台特急「北陸」です。3月12日を最後に姿を消す「北陸」を目当てに、上野駅などではすでに大勢のファンが押しかけているとのことですが、高岡駅にも隣のホームに三脚を構えたファンの姿が数人見えます。しかし、実際に「北陸」が発着するホームのほうにはそのような人が一人もおらず、僕だけがうろうろしていて、きっとあちら側から見るとさぞや邪魔者であったことでしょう。

 「北陸」がゆっくりと、先ほど「日本海」が停車した位置と寸分違わない位置に停車しました。先頭はEF81-149です。長岡から牽引を務めてきたこの機関車にも雪はまったくついていません。上越線区間はどうだったのでしょう。定刻で走ってきてくれてありがたいです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185711.jpg 眩しいライトを光らせて到着。

 「北陸」はまたすぐにドアを閉めて、高岡駅を発車していきました。最後尾の客車に付いたオレンジ色のヘッドマークが金沢方へと流れていきます。金沢駅ではファンがたくさん待ち受けているのでしょうか。

 「北陸」が去った5分後に、601M急行「能登」がやってきます。僕はこれに乗って金沢まで行きます。「北陸」のヘッドマークの残像がまだ消えやらないうちに、「能登」がまもなくホームに入るというアナウンスが流れました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818185724.jpg ▲オレンジ色のヘッドマークを最後尾に高岡駅を走り去る「北陸」。