毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「さくら」でランタンフェスティバル③(「さくら」完乗!)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030110.jpg

 2005年2月19日(土)、「さくら」、鳥栖→長崎。

 「はやぶさ」が熊本へ向けて行ってしまうと、「さくら」の先頭車両(7号車)が顔を出しました。待ってましたとばかりに大勢のファンや乗客が一斉にその「さくら」の顔に向けてシャッターを切ります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030120.jpg鳥栖から先頭に立つ7号車。

 一方、ホームから少し離れた鳥栖駅の側線には、「YDC(イエローディーゼルカー)」の愛称で親しまれるキハ125形などに並んで、これから「さくら」の牽引機となるED76-87機が待機中です。よく見ると、博多方についているヘッドマークは、「はやぶさ」牽引機についていたド新品のヘッドマークとは打って変わってなにやら古びた感じです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030115.jpg 「さくら」牽引を前に側線で待機中。

 「さくら」廃止が決まった当時、ヘッドマークが次々に盗難に遭うという事態が発生し、一時はヘッドマークなしで運行されたそうですが、廃止が近づいてきたことからJR九州が改めてヘッドマークを作ったと聞いていたので、「はやぶさ」のほうはきっと新調されたばかりのヘッドマークだったのでしょう。「さくら」の博多方についているのが長い間使われてきたものの一つのようですね。

 ED76-87機がホームにゆっくり入ってきて連結作業。たくさんのファンや乗客がじっとそれを見守っています。がちゃんと控えめな音をたてて機関車が連結されて、「さくら」は長崎へ向けて出発する準備が整いました。ここからは僕にとっては初めて乗り入れる長崎本線です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030125.jpg 長崎本線を受け持つED76-87機。

 鳥栖を出ると佐賀に停車のあと、11:09に肥前山口到着です。停車時間は9分と長め。
 「さくら」が佐世保編成とともに単独運転していた頃には、ここで佐世保編成と長崎編成が切り離され、お互いその日の夕刻の再会を約してそれぞれの目的地へ分かれていったはず。今は5両編成と短くなった長崎編成ばかりがじっと発車を待っています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030129.jpg かつては二手に分かれたことも。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030134.jpg
 肥前山口を出ると長崎までの停車駅は肥前鹿島と諫早の二駅だけですが、肥前山口を出たとたんに交換待ちや追い抜かれのための運転停車が突如として増えます。肥前竜王肥前飯田、肥前大浦、湯江、肥前三川信号場で運転停車し、「かもめ」なら肥前山口から長崎まで1時間10分ぐらいで走りきるのを、「さくら」はたっぷり1時間47分かけてのんびり走ります。肥前七浦あたりから小長井、長里のあたりまで有明海を眼前にしながらの寝台列車ヒルネ旅ののどかさは格別です(と書きつつ、有明海の車窓の写真が一枚もナイ(^_^ゝ)。

 そしていよいよ13:05、東京から1350.5㎞を走り通してきた3レ特急「さくら」は、19時間02分かけて、定刻に終点長崎に到着しました。満席だったはずの車内も山口県に入る頃から下車客が増え、長崎で降りた乗客はそれほど多くなかったようです。行き止まりになった長崎駅のホームに長駆にも疲れを見せない青い車体を一瞬横たえ、そして「さくら」は夕方の再出番までの休息をとるために、すぐにホームから引き上げていきました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030139.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030143.jpg 夕方にはこちらが先頭に立つ。

 寝台特急「さくら」。
 最初で最後の乗車は、夕闇の下りたばかりの東京駅を大勢のファンに見送られて出発し、途中雨に洗われながらごくたんたんと西へと走り、最後はのんびりヒルネモードで静かに終了しました。
 博多圏と長崎・佐世保圏との間の鉄道とバスとの高速輸送競争に巻き込まれ廃止へ追い込まれた「さくら」。それは悲運なのか自然のなりゆきなのか。しかしそれでも「さくら」の利用者はゼロになっていたわけではなく、必要としていた人も、時には「さくら」で旅をと思っていた人もいたはずです。そんな人たちのために、あるいは「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」のようにより多くの旅人のために、「さくら」を残そうという方向へ経営陣の目が向くことはなかったようです。最後まで「さくら」を一つの「遅れた」輸送手段としてしか見られなかった彼らの視点が残念でなりません。

 さあ、「さくら」完乗です。
 それではランタンフェスティバルへ、いざ進まん!

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030147.jpg 行き止まりの駅、長崎。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819030151.jpg とうとう長崎までやってきました。