毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

宗谷岬でタコしゃぶplease!(その34;北運河)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142808.jpg ▲再び小樽堺町通り、六花亭。青空が広がった。

 2009年9月8日、手宮線を学ぶ。

 小樽での一夜が明けて、青空の広がるよい天気になりました。旅先ではまず元気に朝ごはんから一日が始まります。「運河の宿 ふる川」の朝食は、朝6:00からモーニングCDコンサートを行っている2階のお休み処で、夕食と同様、運河に面したカウンター席で運河沿いの景色を眺めながらいただきます。バイキング形式なので、朝からついつい食べ過ぎてしまします。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142747.jpg 運河を眺めながらの朝食。

 朝食を終えて、ゆっくりとチェックアウト。各部屋にインターネットの端末がないのがちょっと不便ですが、1階ロビーにパソコンが備え付けてあるので、そこでメールチェックを済ませ、運河沿いの通りに出て、再び散策開始です。運河沿いに歩き、中央橋を越えて、この日は北運河へと歩を進めます。さらに龍宮橋を越える、運河の幅が広くなります。南運河の幅は散策道整備などの埋立により20mになっていますが、北運河は幅40mと昔のままで、今でも小型船がたくさん繋留されています。北運河周辺はお店やレストランもほとんどなく、古びた倉庫や街並みが続くさまは昔の面影をそのまま残していると言えます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142759.jpg 幅の広い北運河。

 北運河のはずれ運河公園まで歩き、今度は一本山手の道を戻ってきます。突然草むした空き地に取り残されたように古ーいコンクリート造りの蔵が現れたりして、おもしろいです。壁面の上のほうには屋号が入っていますが、出入口のシャッターは錆び付いて、長い間開けられたことがないようにも見受けられます。いったいいつからこの蔵はここに建っているのでしょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142804.jpg 空き地に突然古い蔵。

 再び中央通りに合流し、臨港線との角にある小樽市観光物産プラザ、通称「運河プラザ」に入ってみます。
 運河プラザの建物もまた立派です。歴史的建造物「旧小樽倉庫」です。北海道営業倉庫の第1号倉庫として1893年明治26年)に建築されたそうですから、120年近い歴史のある建物です。小樽市内や後志支庁管内の物産販売店や、観光案内所、喫茶店、中庭などがあります。中庭から建物を見上げると、倉庫らしいがっしりとした壁面に瓦屋根、さらには銀瓦造りのシャチホコが残っていたりして、往時の羽振りの良さが窺えます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142752.jpg 旧小樽倉庫の中庭から。

 また、運河プラザの中には小樽の歴史を学ぶことができる様々な資料が展示され、テーマごとのビデオも上映されています。僕は手宮線の歴史を紹介したビデオをじっくり見てしまいました。手宮線のことはほとんど知りませんでしたが、ここのビデオを見て、石炭や海産物の積み出し港としていかに小樽が賑わったか、そしてそれにいかに手宮線が深く関わり大きな貢献をしたかということがよーくわかりました。実にためになった。壁面に展示された小樽市の古い地図には、手宮線が手宮駅から先、何本もの線に分かれて桟橋へ伸びているのがはっきりと記されていて、当時の貨物積み出しの賑わいを彷彿とさせているようです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142756.jpg ▲運河プラザ展示の小樽市の古い地図。手宮線の伸び具合がよくわかる。