毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

宗谷岬でタコしゃぶplease!(その25;宗谷丘陵)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142323.jpg ▲宗谷丘陵の上でのびのび飼われる宗谷岬牧場の宗谷黒牛。

 2009年9月7日、宗谷丘陵。

 宗谷丘陵の上へのぼってまいりました。かつて2度か3度来たことはありますが、いつも宗谷岬が見える程度のはじっこにのぼって終わりにしていたので、今回はもう少し先まで歩いてみます。オランダの風車が目印の展望休憩施設「ゲストハウスアルメリア」まで行ってみましょう。

 もちろんまだ朝ですからゲストハウスは開いていませんが、屋上の展望台には上ることができます。ここからは宗谷丘陵が一望です。宗谷岬灯台、その向こうの宗谷海峡も広く見渡せます。宗谷岬灯台の初点灯は1885年(明治18)9月25日だそうですから、もう120年以上北辺の海峡を照らし続けているのですね。

 宗谷丘陵は「周氷河地形」。地中の水分が凍結や融解を繰り返すこと(凍結融解作用)によって形成される地形だそうで、凸部は低く傾斜も緩やかになり、凹部は船底型ないし皿状の谷(皿状谷)が形成され、それらの緩やかな起伏が連続するのが特徴で、その特徴が目で見てわかるほどはっきり現れている宗谷丘陵は世界的にも貴重な場所なのだとか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142318.jpg 典型的な周氷河地形かしら。

 展望台から再びのんびり徒歩で宗谷岬のほうへ戻ってきます。ロシアとの国交が悪化した1902年(明治35年日露戦争前夜ですね)に国境の防備として作られた要塞である「旧海軍望楼」や、北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して1971年(昭和46年)7月に建てられた、“天北酪農の夜明け”を象徴した「あけぼの像」などが目に入ってきます。宗谷丘陵には、大韓航空機追撃事件の遭難者を慰霊する「祈りの塔」や「世界平和の鐘」なども点在しています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142331.jpg 旧海軍望楼。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142336.jpg 日露戦争の戦いも見守った。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142342.jpg 天北酪農の夜明け。

 「流氷とけて 春風吹いて ハマナス咲いて カモメもないて はるか沖ゆく 外国船の 煙もうれし 宗谷の岬 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬」。宗谷岬のほうからはこんな歌が聞こえてきます。吉田弘作詞・船村徹作曲、昭和49年に登場して「ダ・カーポ」が歌った歌「宗谷岬」です。長く厳しい冬が終わってようやく春が来たうれしさがほのぼの伝わってきて、けっこう好きなんですよね、この歌。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142328.jpg宗谷岬灯台宗谷海峡。43km先にはサハリンが。