毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

宗谷岬でタコしゃぶplease!(その21;北防波堤ドーム)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142146.jpg ▲1936年以来北辺の港を守り続ける北防波堤ドーム。

 2009年9月6日、北に向かって鉄路が尽きるところ。

 ノシャップ岬から再びバスに乗って郵便局前まで戻り、そこからぶらぶらと歩いて「稚内港北防波堤ドーム」へ向かいました。稚内のシンボルとしてあまりにも有名なドームは、その独特の形状と歴史的背景から、稚内を訪れる人ならば必ず足を運ぶところであろうと思います。

 北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊航路)の桟橋と連絡船の乗客を守るために、1931年に着工し1936年に完成したこのドーム、完成当時は延長424m、高さ13,2mで、現在は全長は427mになっています。大正から昭和の初めにかけての防波堤は高さ5.5mしかなく、乗船客が波にさらわれるという事故も多発していたそうです。

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 稚泊航路は1923年(大正12年)5月1日に開設され、1945年8月24日の樺太からの最終便「宗谷丸」の到着をもって消滅しました。「九・一八事変」で日中戦争に実質的に突入したのが1931年ですから、激化する戦争の渦中にいよいよ嵌り込んでいく時期にこのドームの建設が始まったことになります。戦争の最も激しかったときに、日本の北辺を行き交う人や物を厳冬の風雪から守り続けたドームが、今は静かに初秋の光を浴びて、その長く丸みを帯びた分厚い壁を横たわらせています。

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 防波堤ドームから全日空ホテルの前を通り過ぎつつ歩くと、「最北端の線路」にたどり着きます。さっきホームの上から眺めた、本当に鉄路の尽きる場所です。ここも稚内に来たら欠かせない記念撮影の定番スポットですよね。14:12発の4332D旭川行き普通列車が出たあとは16:51発の2034D特急「スーパー宗谷4号」まで列車がないので、ホームはカラのままです。さっきとは逆に「最北端の線路」からホーム上の「日本最北端の駅」の標柱を眺めます。鉄路が尽きるここは北緯45度。まだ9月初めだというのに、もう肌寒くなってきましたよ。

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https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818142154.jpg ▲鉄路尽きる場所から最北端の駅のホームを望めばそこには列車もなく静かな午後のたたずまい。