毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

太宰治生誕100周年記念トリップ(その10;選ばれてあることの……)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224803.jpg ▲芦野公園の湖畔に経つ太宰像。マント姿がよく似合う。

 2009年9月3日、太宰像。

 さて、芦野公園の中を歩き始めます。平日の午前ですから園内にはほとんど人がいません。閑散とした印象さえ覚えます。北東北とは言え季節はまだ夏、芦野公園を覆う木々はまだまだ青々としています。芦野公園は、今はヒグマや鹿などのいる児童動物園や家族で遊ぶふれあい広場、オートキャンプ場などがある県立公園になっていますが、そのたたずまいは太宰が歩いた頃とあまり変わっていないのではないでしょうか。ちなみに芦野湖は正しくは藤枝ため池といい、津軽藩が灌漑用に造った人造湖なので、水田に水が必要な時期は水位が下がり、ボートなどは営業休止になります。

 芦野湖の湖畔にたどり着くと、そこには太宰治の文学碑があります。太宰が最も好んで口にしたといわれるヴェルレエヌの一節「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」と刻まれていて、毎年6月19日の桜桃忌にはこの碑の前で太宰を偲ぶ会が開かれます。恍惚と不安、太宰が生涯抱き続け、その間をいったりきたりしていた両極のように思われます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224755.jpg 太宰治文学碑。

 そのすぐそばには、太宰の銅像も立っています。漆黒の太宰はマントを羽織り、眉間にしわを寄せた険しい表情で、子どもの頃走り回ったはずの芦野公園に立っています。実はこの銅像、今年できたばかりで、今年の桜桃忌に除幕式が行われました。1944年当時、東京都三鷹市にあった自宅付近を散歩している写真を基に造られたのだとか。1948年に39歳で逝った太宰の晩年の姿ということになりましょう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224759.jpg 芦野湖をバックに立つ太宰。

 ところで、金木と言えば、もうひとつ忘れてはならないのが津軽三味線津軽三味線は金木町出身の「神原の仁太坊」によって始められ、その門下の「嘉瀬の桃」「白川軍八郎」らによって津軽三味線の基礎が築かれました。魂を揺さぶるように力強い「叩き撥」、心に静かにすぅっと入ってくるようなメロディアスな「弾き撥」、いずれも耳にすれば涙が自然にこぼれ出るほどすばらしい津軽三味線、金木には津軽三味線会館がありますし、青森や弘前五所川原には、それを生で聴ける居酒屋なんかもありますので、どうぞみなさんも津軽三味線に触れにいらしてくださいね!

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224807.jpg津軽三味線発祥之地の碑もあります。