毎日ヶ原新聞

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【社説】こんなんありました(朱鞠内駅)

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▲朱鞠内駅の記念入場券。北海道ではこんなタイプの記念入場券がたくさんありましたよね。

 先日の引っ越しで荷物を整理していたら、なつかしいものが出てきました。1995年(平成7年)に廃止された北海道の深名線・朱鞠内駅の切符です。

 深名線は深川と名寄を幌加内、朱鞠内、北母子里などを経由しながら結んでいた全長121.8km、駅数21のローカル線で、1日3往復ぐらいしか走らない超過疎ローカル赤字線でしたが、道内屈指の寒冷豪雪地帯で並行道路が未整備ということで長い間廃止を免れ、平成の世まで残っていた路線です。母子里と言えば1978年2月に氷点下41.2℃という日本最低気温が記録されたところです。

 僕が深名線に初めて乗ったのは確か1986年の夏のこと。最初は名寄から車で朱鞠内湖へ行き、そのついでの朱鞠内駅や北母子里駅、そして、当時は全国版時刻表には載っておらず道内時刻表だけで知ることができた「仮乗降場」だった「湖畔」や「蕗ノ台」を訪れました。そしていくつかの区間を実際にも列車に乗ってみた記憶があります。

 1993年10月に北海道を旅行しました。このときはまだ深名線は廃止になっていませんでしたが、深名線に乗りに行く時間はありませんでした。ただ、今となってはよく思い出せないのですが、たぶん車で朱鞠内駅まで行き、そこで求めたのが朱鞠内駅のこの記念入場券と、隣駅・湖畔までの硬券乗車券だったような覚えがあります。切符には平成5年10月25日のスタンプが記してあります。

 記念入場券の表にはソバ畑の向こうを走るキハ53の写真が印刷されており、裏には、「朱鞠内駅と湖畔駅の途中を走るキハ53の横にはソバ畑が広がり、真白い花の最盛期には、まるで白いじゅうたんに包まれたようになります。全国一の「ソバ産地」であり、その品質は、国産最高級として折り紙つきです。」と書かれています。

 こんな風景の中を、深川から名寄まで、深名線全線乗車してみたかった。しかし、特に深川~朱鞠内間には一度も乗ることがかなわないでいるうちに、1995年9月4日、全線が廃止されてしまいました。廃止されたその日、僕は偶然にも新千歳空港内のホテルに泊まっていて、手にした朝刊で深名線の廃止を知りました。そのときまですっかり深名線のことを忘れていた僕は、朝刊の記事を見てハッとしました。しかし、その日から深名線は廃止になり、僕はただなすすべもなく香港行きの飛行機に乗って北海道を離れるしかありませんでした。

イメージ 2 ▲朱鞠内から湖畔までの硬券乗車券。