毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「日本海」が函館まで行っていた頃(後編)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224136.jpg ▲「日本海1号」のこの日の青森からの牽引機はED79-7。

 5月20日に前編をアップしてからずっとほったらかしになっていたこの記事、今日はようやく後編をいってみようと思います。

 というわけで、2005年6月13日、青森から函館まで「日本海1号」に乗りました。トワエク釜のEF81-114に牽かれて青森駅に到着した「日本海1号」は、函館まで足を伸ばす編成との切り離し作業を行い、先頭には青函トンネルを受け持つED79-7が連結されました。

 函館まで行くのはA寝台個室シングルデラックスの1号車と開放式B寝台車の2~4号車、そして1号車の前に付いている電源車の計5両。このうち、確か僕の記憶では3号車と4号車がヒルネに開放されています。これをED79-7が引っ張って函館を目指します。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224144.jpg 函館編成最後尾4号車。

 僕が乗ったのは3号車(4号車は喫煙車なので)。オハネ25-46です。もともとそれほどの乗車率ではなかった上に青森でさらに下車客があり、青森以北まで足を伸ばす人は多くはありません。3号車の車内も空いていて、どの寝台にも座れそうです。下段の寝具は上段に片付けられていて、下段は6人掛けのボックスシート状態になっているわけですが、ほかに誰もいないところを見つけて腰を下ろせば、寝台の下段が二つとも独占状態になります。窓からは青森ベイブリッジが見えています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224140.jpg 3号車はオハネ25-46。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224151.jpg 窓の外には青森ベイブリッジ

 「日本海1号」は08:54、定刻に青森を発車しました。函館までの停車駅は木古内のみで、運転停車もあまりありません。ヒルネ乗車では寝台に寝っ転がったりしてはいけないのでしょうけれど、これだけ空いていれば自動的に寝っ転がってしまいます。寝具は使ってはいけないのですが、枕ぐらいは使いたくなります。

 曇り空の下を津軽線の単線区間を行く「日本海1号」。駅を通過するたびにポイントを乗り換える揺れが妙に心地よく、こうして寝台に横になっていると眠くなります。09:40に津軽今別を通過するといよいよ青函トンネル。長いトンネルに入ってしまうと、もうこれはヒル区間ではありません。暗くなってしまって、本当に寝台特急が深夜に走っているかのような気持ちになって、自動的に爆睡モードになるじゃないですか。

 というわけで、気がつけばもう函館。11:27に定刻の到着です。

 先頭では機関車の切り離しが行われています。機関車を切り離して編成が引き上げ、夕方16:39の「日本海4号」としての発車まで休憩タイムに入るのでしょう。
 おや、青森から牽引してきたED79-7には連結面にもヘッドマークがついているようです。そのヘッドマークは「はまなす」。なるほど、「日本海」を牽いてきて急行「はまなす」を牽いて青森に戻るというのが運用パターンになっているのでしょうか。

 機関車の切り離しを見届けたら、僕は改札を抜け、駅前のバス乗り場からバスに乗って空港に向かいます。そして函館空港から飛行機で羽田へ飛びます。今やこのコースも僕の帰省コースの定番となったようです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224156.jpg 連結面には「はまなす」のHM。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818224200.jpg ▲函館に到着した「日本海1号」。ED79はなぜか前パンタで走ります。