「日本海」でいったりきたり(その14;「日本海2号」と急行「銀河」)
2006年11月25日(土)、大阪駅。
高熱にうなされている僕は、16:45の発車時間を待たずに「日本海2号」A寝台車のふとんの中にもぐりこみ、何度も夢と現の間を行き来しながら眠り通しました。せっかくの開放式A寝台車初体験なのに、ひたすら寝まくったというのではもったいないような情けないような。
しかし、おかげで翌朝目覚める頃には熱も下がり、なんとかふつうに活動できるようになっていました。よかったよかった。A寝台の下段で独占できる大きな窓のカーテンを開け放つと、初冬の遅い朝が始まっていました。
高槻あたりの朝焼け。
4002レ寝台特急「日本海2号」は、定刻の07:12、終点大阪に到着しました。14時間27分の長丁場をものともせずに走り抜けました。牽引機はEF81-101号機。昔ながらのローズピンクがシブイです。「あけぼの」や「北斗星」なんかを牽くEF81は真っ赤な色になってしまいましたが、やはりEF81はローズピンク(僕はこれをサーモンピンクと呼ぶことも)がいちばんよく似合います。ただ、このEF81-101は青森から牽引を続けてきたのではありません。敦賀で機関車の交換があったはずです。青森から敦賀までの牽引機はなんだったのでしょう。高熱に負けて確認しませんでした(x_x)。
12号車の後ろのカニ。
ローズピンクに青のHM。
ふと大阪駅3・4番線ホームの案内板を見ると、「日本海2号」の到着を知らせる掲示の下に「銀河」の文字が。そうです。「日本海2号」が到着した6分後にはお向かいの4番線に東京からの101レ寝台急行「銀河」が到着するのです。
この並びも今は幻。
4番線にゆっくりと「銀河」がやってきました。僕は「銀河」には乗ったことがなく、廃止直前に乗車を画策し寝台券も予約しましたが、結局乗りませんでした。こうして間近に眺めるのもめったにないことです。
この日の牽引機はEF65-1107。ヘッドマークはついていません。かっこいいです。EF65のブルトレ牽引は「出雲」に乗ったとき以来です。今やEF65の牽くブルトレはまったく姿を消してしまいましたが、最近までの「出雲」と「銀河」の活躍はまだ記憶に新しく、こうして写真を見ながら思い出すと胸に迫るものがあります。
この日の牽引機はEF65-1107。ヘッドマークはついていません。かっこいいです。EF65のブルトレ牽引は「出雲」に乗ったとき以来です。今やEF65の牽くブルトレはまったく姿を消してしまいましたが、最近までの「出雲」と「銀河」の活躍はまだ記憶に新しく、こうして写真を見ながら思い出すと胸に迫るものがあります。
▲EF65-1107に牽かれて終点大阪に到着した下り「銀河」。
「銀河」の絵柄の愛称幕はまさに夜行列車にふさわしいデザイン。ブルーを基調にイエローの文字とちりばめられた星々が鮮やかなアクセントになっています。
「銀河」は先頭の1号車が開放式A寝台車です。平時で6両、混雑期で8両という短めの編成で運転されていた「銀河」は、ビジネス需要も旅行の需要もそれなりにあったと思うのですが、あえなく姿を消しました。夜10時台から11時台に東京・大阪をそれぞれ発ち、翌朝6、7時台に到着してそのまま一日の活動が始められるというのは「のぞみ」にもできない芸当だったし、それが一定の評価を受けていたはずなのに、そのニーズが切り捨てられたのは残念至極であります。
「銀河」は先頭の1号車が開放式A寝台車です。平時で6両、混雑期で8両という短めの編成で運転されていた「銀河」は、ビジネス需要も旅行の需要もそれなりにあったと思うのですが、あえなく姿を消しました。夜10時台から11時台に東京・大阪をそれぞれ発ち、翌朝6、7時台に到着してそのまま一日の活動が始められるというのは「のぞみ」にもできない芸当だったし、それが一定の評価を受けていたはずなのに、そのニーズが切り捨てられたのは残念至極であります。
すてきなデザイン。
▲到着した「銀河」の最後尾6号車。1本のホームの両側に2本のブルトレ。今では望むべくもなし。