毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

日本海」でいったりきたり(その12;上り「日本海2号」)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818123016.jpg青森駅4番線で発車を待つ「日本海2号」。最後尾は電源車カニ

 2006年11月24日(金)、風邪ひいた。

 さて、青森の実家でのんびりするのはこの日まで。24日の夕方からは青森を離れて旅に出ます。

 そのトップランナーに選んだのは、4002レ特急「日本海2号」。2008年3月のダイヤ改正で1往復体制になってしまいましたが、06年当時はまだ2往復が走っていました。そのうち、青森を早い時間、16:45に発車するのが「日本海2号」。全国の定期客車列車で開放式A寝台車を連結しているのは急行「銀河」と特急「日本海2・3号」だけ。このうち「日本海2・3号」はJR東日本持ちの車両で運転されます。この頃から「日本海」減便の噂は聞こえてきており、減らされるならきっと開放式A寝台のほうだと思ったので、このときは敢えて奮発して「日本海2号」のA寝台に乗ることにしました。

 しかし。

 前日、強風の中を大湊線有戸駅まで行ったのがたたったのか、その日の夜から高熱を出して寝込み、「日本海2号」乗車当日も熱が退かず、ふらふらのまま青森駅にたどり着きました。とても寝台列車を楽しむという雰囲気ではありません。くやしい~~(x_x)。

 それでもせめて写真を何枚か…… この頃の青森は午後5時を過ぎればもう真っ暗です。「日本海2号」は増結時のフル編成だと機関車とカニも含めれば14両の長大編成になりますが、通常は1~6号車+11・12号車+カニの9両編成。そしてA寝台車は12号車、最後尾の客車なので、青森駅のホームでもかつての青函連絡船桟橋跨線橋寄りの薄暗いはずれのほうになり、けっこう写真が撮りにくいです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818123012.jpg シンプルだけどかっこいい。

 それにしても、青い車体に青い「日本海」のヘッドマーク、かっこいいです。日本海縦貫線を走破する列車にふさわしい、落ち着いた、それでいて力強さも感じさせるヘッドマークです。
 まだ夕方5時にもならない時間帯に夜行列車に乗り込む人はそう多くはないようで、青森駅の長い3・4番ホームはなんとなく閑散としています。それでも駅舎へ続く跨線橋に近いほうは、下校退勤の時間帯ということもあり、短い編成の普通列車に乗る人降りる人で多少のざわめきはあるでしょう。しかし、「日本海」の長い編成の後ろのほうはしんとしていて、薄暗いホームの灯りに青い車体が長くのびているだけです。函館からの乗り継ぎや青森からの乗車は後続の「日本海4号」が主に担い、「日本海2号」のほうの主たるターゲットは秋田県内から山形県にかけてではないでしょうか。もちろん、青森~秋田間はヒル区間なので、夜の「かもしか」的役割も担ってはいますけれど。

 さて、初めて乗ります、開放式A寝台車。折り戸式のドアの脇には「12」という号車番号札、そしてドアの上には「A寝台」の表示。なんだかわくわくどきどきします。あ、このわくわくどきどきは風邪の熱のせいかしら……(^_^ゝ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818123021.jpg 長いホームに青い車体。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818123026.jpg ▲定期客車列車では全国で3本しかない開放式A寝台に乗り込みます。