晩秋初冬すてきなニッポン(その54;須弥山へつながる帝釈堂)
▲柴又帝釈天帝釈堂。
2008年12月4日、帝釈天参拝。
帝釈天配下の四天王のうち南方守護の増長天と西方守護の広目天を安置する二天門をくぐって帝釈天境内に入ります。正面にはまたみごとな帝釈堂が建っています。ここは1629年に開基された経栄山題経寺という日蓮宗のお寺で、もともと日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天のご本尊があったそうですが、江戸時代にこれが行方不明となり、1779年の本堂改修の際に中の梁上から発見され、その日が庚申(かのえさる)に当たっていたことから、庚申の日にお参りをするのがよいということになったそうです。
帝釈堂前のみごとな神木。
その見つかったご本尊というのが「板本尊」。なんとそれは「長さ二尺五寸、 幅一尺五寸、厚さ五分」の「板」なのです。そしてそこには「南無妙法蓮華経」というお題目が書かれてある。これ、まさに日蓮宗。「南無妙法蓮華経」と題目を唱える行を行えば「仏性」が顕現するという思想ですからして、本尊は「久遠実成本師釈迦牟尼仏」なのですが、これが「曼荼羅本尊」といって「南無妙法蓮華経」という文字で表されているのですな。
帝釈天は須弥山の頂上の喜見城に住んでいるということなので、帝釈堂の上がり口には「喜見城」と書かれたでっかい扁額かかっています。と言っても、今日こうして記事を書くためにいろいろ調べるまでは、なんと書いてあるか読めませんでした(^^)。
須弥山につながってるらしい。
松の枝振りもみごと。
帝釈堂と本堂・大客殿とは、これまたみごとな渡り廊下でつながっており、それをくぐって奥へ入っていくと、「邃渓園(ずいけいええん)」という庭園になっているそうです。滝の風情が幽邃で清閑であることから名付けられたといい、1965年、関東の著名な造園師・永井楽山の作。
この奥に日本庭園が。
二天門を入ってすぐには「御神水」がこんこんと沸きだしており、その脇には「大鐘楼」があります。1955年、名匠・林亥助によって完成された総欅造りだそうで、高さ約15m。四手先の豪壮な桝組と木彫を施し、関東一の鐘楼、昭和の名鐘との賛辞が尽きません。寅さんの映画には必ずこの鐘楼の鐘の音が挿入されているとか。
いやー、柴又と言えば寅さん、ごてごての下町映画、てやんでぃ、江戸っ子だい、そんなイメージが大いに先行していましたが、こうしてしばらく帝釈天境内を散策してみると、こりゃあなかなか由緒もあって、歴史散歩にももってこいです。葛飾柴又、いいところですなあ(^^)。
帝釈堂前の御神水。
▲昭和の名鐘とも称される帝釈天の大鐘楼。桝組がみごと。