毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「日本海」でいったりきたり(その8;小繋駅を発つ)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122832.jpg小繋駅のホームから二戸方の大カーブを望む。

 2008年11月22日に連載第7回の記事をアップして以来長く休載していたこのシリーズ、今日から再開です(^^)。前回は、映画「待合室」の舞台となりロケ地となったIGRいわて銀河鉄道小繋駅を訪れたところで終わっています。今日はその続き。今から2年半前の旅ですが、またよろしくおつきあいくださいませ。

 2006年11月23日(木)、勤労感謝の日

 駅舎や、駅前の風景や、映画「待合室」の主人公がやっている酒屋の店先などを見て回り、再び小繋駅のホームに出てみます。駅舎からホームへ通じる戸の上には時刻表が掲げられていますが、下り14本、上り13本の列車がやってくることになっています。これはJR時代よりは本数は多くなっているはずです。東北本線という大動脈から切り離され、第三セクターとしてやっていかねばならなくなったIGRいわて銀河鉄道青い森鉄道のせめてもの利便性向上のための努力なのだと思いますが、しかし沿線住民には重い運賃負担という壁が横たわったままです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122813.jpg 小繋駅の時刻表。

 跨線橋の上から構内を見渡します。2面3線の構内はけっこう広く感じられる一方、周囲を見渡すと、紅葉をとうに終えた冬枯れた木々の茂る山々に囲まれ、険しい奥中山峠から続く山間の小駅であることがよくわかります。
 3線のうち両端の2線の軌道はがっしりとしていて、ここが大動脈・東北本線であることを感じさせます。JRから切り離されはしたものの、今でも多数の貨物列車や「カシオペア」、「北斗星」といった寝台特急が高速で駆け抜けています。JRは自身にそのような需要があるにも拘わらず、新幹線の建設と引き替えにこの部分を切り捨ててしまったのです。もしそのときに地元が「じゃあ鉄道はもう要りません。線路は撤去して、すべてはバスに転換します」という道を選択したら、JRはいったいどうなっていたのでしょう。僕は、新幹線と在来線の関係をどうするかについて、当時もっとJRと地元との間に地元に有利になる交渉ができたのではないかと、今でも思っています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122822.jpg 上り線の真上の跨線橋から。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122827.jpg こちらは下り線。

 無人の構内に「まもなく列車がまいります」というテープ音声のアナウンスが流れ、下りホーム3番線に列車が近づいてきました。13:33発八戸行き普通列車4531Mです。初めて訪れた映画「待合室」の舞台、小繋をあとにします。帰ったらまた映画を見なおそうと思いました。そして、映画のシーンにたくさん出てくる、雪景色の小繋駅を再び訪れてみたいと思いました。

 追伸:その後、このときから約1年後の2007年12月、雪がうっすらと積もった頃に、小繋駅再訪が実現しました。そのときの記事はすでに2008年3月1日付のコチラの記事にアップしてあります。また、この連載を再開するにあたって、先週末に久しぶりに映画「待合室」を見返しました。いい映画でした。ちょっとしたことで何事をもあきらめてしまいがちな風潮が強まっている今の日本のすべての人に見てほしい映画です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122818.jpg さよなら小繋、また来るよ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122836.jpg小繋駅に入ってきた盛岡からの八戸行き普通列車4531M。IGR7000系車両はつまり701系