晩秋初冬すてきなニッポン(その49;一路東京へ)
2008年12月2日(火)、青函トンネル。
青森駅の5・6番線ホームで「連絡線」の文字を眺めながら思い出にひたることしばし、5番線には14:43到着の秋田からの普通列車647Mが入りました。そしてそれに続くように14:45、函館からの4022M特急「スーパー白鳥22号」が6番線に到着です。この日は通常どおりの6両編成だったので、ホームの真ん中にも届きません。
「スーパー白鳥22号」到着。
「スーパー白鳥22号」は6分の停車ののち、進行方向を変えて14:51に青森駅を発車します。車内は空いていて、空席のシートは方向転換されないままなので、車内のあちこちがボックスシート状態になってしまいました。
「スーパー白鳥」のシートのおもしろいのは、背もたれの裏に収納されているテーブルの裏面に、青函トンネルの地図(というか断面図)と、「スーパー白鳥」が青函トンネルに入るのと出るののおおまかな時刻を記した大きなステッカーが貼ってあることです。列車で青函トンネルをくぐるのならば、トンネルに何時に入って何時に出るのかが知りたいもの。そんな旅行客にとってはありがたいサービスです。でも、これって485系3000番台の「白鳥」にはないですよね?うーん、これがJR北海道とJR東日本の違いでしょうか。「白鳥」のほうにもほしいものです。
「スーパー白鳥」のシートのおもしろいのは、背もたれの裏に収納されているテーブルの裏面に、青函トンネルの地図(というか断面図)と、「スーパー白鳥」が青函トンネルに入るのと出るののおおまかな時刻を記した大きなステッカーが貼ってあることです。列車で青函トンネルをくぐるのならば、トンネルに何時に入って何時に出るのかが知りたいもの。そんな旅行客にとってはありがたいサービスです。でも、これって485系3000番台の「白鳥」にはないですよね?うーん、これがJR北海道とJR東日本の違いでしょうか。「白鳥」のほうにもほしいものです。
ボックスシートになりました。
▲テーブルの裏面には青函トンネル通過案内があって便利。
浅虫温泉の次の停車駅は野辺地。来年東北新幹線八戸~新青森間が開業して東北本線八戸~青森間が青い森鉄道に引き継がれてしまうと、野辺地を起点とする大湊線は第三セクター鉄道から分かれる行き止まり線になってしまいます。野辺地へは、最寄りの新幹線駅には七戸(仮称)駅がありますが、野辺地駅までのアクセスはよくありません。かと言って八戸~青森間には優等列車は走らなくなってしまうでしょうから、八戸から行くにも青森から行くにも今より時間がかかってしまうでしょう。そうすると、今のように快速「しもきた」で大湊線直通列車を維持したとしても、自ずと大湊線への影響は出てくるでしょう。大湊線の第三セクター化、もしくは廃止が最初から織り込まれているような気がしてなりません。
そんな思いを抱きながらぼんやりしているうちに15:50、「スーパー白鳥22号」は終点八戸に到着しました。接続するのは16:06発の「はやて22号」。八戸駅での乗り継ぎに16分もあるのは長いほうなのですが、これにはわけがあります。この時間帯だけ、「スーパー白鳥22号」のすぐあとを弘前からの22M特急「つがる22号」が追いかけていて、青森発は12分差、青森~八戸間をノンストップで走って八戸着は7分差の15:57で「はやて22号」に接続するのです。
たそがれの野辺地駅。
やがてここも途中通過駅に。
「スーパー白鳥22号」と「つがる22号」の乗り継ぎ客を受けて、16:06、「はやて22号」は八戸駅を出発しました。弘前から八戸まで停車駅が青森しかない速達の「つがる22号」を受けた「はやて22号」も速達タイプで、八戸を出ると盛岡までノンストップ、所要29分です。
盛岡では「こまち22号」をうしろにつないで、16:41の発車。晩秋の夕暮れは早く、岩手路の山々は早や夕焼け色に染まっていました。東京まであと2時間半。今回もまた青森への短い帰省の旅でした。
盛岡では「こまち22号」をうしろにつないで、16:41の発車。晩秋の夕暮れは早く、岩手路の山々は早や夕焼け色に染まっていました。東京まであと2時間半。今回もまた青森への短い帰省の旅でした。
晩秋の日暮れは早く。
▲盛岡を出てすぐの車窓からの夕焼け。「はやて22号」は疾走していきます。