晩秋初冬すてきなニッポン(その48;青函連絡船)
2008年12月2日(火)、青森駅。
「スーパー白鳥22号は」青森駅の6番線に14:45に到着することになっています。津軽線や奥羽本線の普通列車の発着に主に使われている5・6番線は売店なども少なく、ホームはとこどなくがらーんとしています。隣の4番線には14:16に着いた蟹田からの普通列車338M、701系電車がぽつんと停まっています。
ふとホームを振り返り、海へと伸びたほうを眺めてみると、そのがらーんとした感じはますます強くなります。かつて京都駅が大改修をする前までは日本一長いホームを誇った青森駅、往時には「はつかり」や「みちのく」、「ゆうづる」など583系の13両編成がその長いホームを埋めていたものです。
がらーんとした5・6番線。
そのホームの中程に、何かしら文字が描かれたあとを見つけました。ホームの先へ向かう矢印と、そして「連絡船」の文字です。
まだ残っているのですね、この文字と矢印。
かつて、終点青森が近づいた列車では、「青函連絡船へお乗り継ぎのお客様はホーム進行方向前のほうへ、青森駅でお降りのお客様は進行方向反対側の階段をご利用ください」という車内放送が必ずあったものです。青森駅のホームには両端に跨線橋があり、駅本屋へは進行方向を後ろ端の跨線橋、そしてホームのいちばん先にある跨線橋は青函連絡船の桟橋へとつながっていました。
いま、かつて青函連絡船の桟橋は跡形もなく、それへつながっていた跨線橋もありません。青森駅から連絡船が出ていたことを示すものがあるとすれば、青森ベイブリッジの下に繋留されているメモリアルシップ「八甲田丸」の黄色い船体と、そしてホームにかすかに残る「連絡船」の文字ぐらいではないでしょうか。
▲この矢印に案内されて、どれほど多くの人々が青函連絡船へ乗り継いだことか。
僕も、何度となくこのホームを端から端まで歩いて青函連絡船の桟橋へ行きました。あるときは自分が北海道へ旅行へ行くために、あるときは見送りや出迎え、またあるときは、北海道限定販売のサッポロビールの缶ビール「サッポロ・クラシック」が連絡船内の売店なら手に入るということで、それを買い求めるために入場券で入ったこともあります。
終点青森駅で列車から吐き出された大勢の乗客たちが黙々とこのホームを歩いて青函連絡船へ乗り換えていきました。「津軽海峡冬景色」の主人公も、上野発の夜行列車で迎えた朝にこのホームに降り立ち、一人寂しく連絡船桟橋へと急ぎました。今こうして改めて「連絡船」の文字の上に立つと、桟橋へと流れる大勢の旅客たちのざわめきがまぼろしのように蘇ってくるようです。
▲この文字の向こうに、跨線橋と、それに続く桟橋と、そして連絡船の行き交いがかつてありました。