毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

晩秋初冬すてきなニッポン(その10;テツノクジラ)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124155.jpg ▲船上から見えた潜水艦「あきしお」。海自呉史料館に展示されているものです。

 2008年11月23日、音戸ノ瀬戸。

 スーパージェットは20分ちょっとで呉港に入港です。桟橋の左手になにやら黒い鉄のかたまりが見えます。潜水艦です。潜水艦が陸にあがっています。海上自衛隊呉史料館、愛称「てつのくじら館」に展示されている海上自衛隊の潜水艦「あきしお」のようですね。その隣には「呉市海事歴史科学館大和ミュージアム」もあるはずです。それにしても目立つなあ、あの潜水艦。呉も一度ゆっくりと訪れてみたいところですね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124159.jpg 長い歴史を有する呉港。

 13:53、スーパージェット7便は呉港を出港しました。大きな工場群を左手に見ながら呉港を抜け出ます。ここから松山まで、あとはノンストップで快調に、と思った矢先、船内アナウンスです。これから「音戸ノ瀬戸」を抜けるので徐行するとのこと。何かと思えば、呉市側と倉橋島との間にある幅わずか70mあまりの狭い海峡のことらしい。今を去ること約840年の1167年、日宋貿易のために平清盛が切り開いたのが始まりだとか。潮の流れが速く、幅が狭く、1000トン級の船舶も含めて毎日多数の船舶が往来するため、瀬戸内海航路の要所かつ難所になっているのだそうです。

 さすがのスーパージェットもそういうわけで音戸ノ瀬戸はゆっくりと通ります。海峡の上には真っ赤な音戸大橋がかかっています。音戸大橋は自動車専用道路なので、人は今も渡し船を利用するそうです。この「音戸の渡し船」、日本で一番短い定期航路なのだとか。約100mの急潮の海峡を大型船の間をすり抜けて横切る小舟は、波しぶきを受けてスリル満点とのことなので、これまた一度体験したいものです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124203.jpg 音戸大橋をくぐります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124212.jpg 狭くても交通の大要衝。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124208.jpg ▲音戸ノ瀬戸全景。音戸の渡し船にも乗ってみたい。

 音戸ノ瀬戸を抜けてしまえばいよいよスーパージェットの本領発揮です。滑るように飛ぶように走って一路松山を目指します。スーパーシートの乗客は、驚いたことに広島を出たときは10名乗っていましたが、そのうち8名が呉で降りてしまい、松山まで行くのは僕も含めてたった2名になってしまいました。そのせいで2階船室はひっそりと静まり返っています。広いシートに体を埋めて、こんなに落ち着いた航海ができるとは思ってもいませんでした。

 やがて松山観光港の各乗船口を結ぶ長ーい通路が見えてきました。終点松山到着です。スーパージェットは甲板に出ることはできないので海風に当たっての船旅というのはできませんでしたが、快適な瀬戸内海の船旅を楽しむことができました。観光港からは連絡バスで松山駅を目指します。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124216.jpg ▲広島から68分、松山観光港の各ゲートをつなぐ長い通路が近づいてきました。