毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

晩秋初冬すてきなニッポン(その7;夕凪の街)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124032.jpg ▲紅葉の残る木々や落ち葉に囲まれた原爆ドーム

 2008年11月23日、広島平和記念公園

 広島市民球場前から更に西へ歩き、元安川太田川にかかる橋の手前で左に入っていくと、原爆ドームです。元安川は、原爆が落とされた日、やけどを負ったたくさんの人々が「あついよう、あついよう」と泣きながらこの川にやってきて亡くなっていったという場所です。

 原爆ドームを訪れるのも、広島平和記念公園を訪れるのも、僕は初めてです。この日も、大勢の人たちがここを訪れ、平和への祈りを捧げていました。

 僕がここで説明を加えるようなことは何もありません。ただ、僕もここへ行ってきましたということだけお伝えして、何枚か写真を掲載するにとどめます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124036.jpg 初めて訪れた原爆ドーム

 原爆ドームは、1915年に竣工し、当時「広島県産業奨励館」として使用されていた洋風建築。この東150メートル、上空約580メートルの地点が爆心地なのだそうです。それでもこうして形をとどめることができたのは、衝撃波を受けた方向がほぼ真上からだったことや、窓が多かったために爆風が吹き抜けたことなどが理由とされていますが、こうして間近で初めて見た原爆ドームは、原爆という衝撃に耐え、さらに60余年という時間に耐えてなお、そこに毅然と聳えていました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124040.jpg 「動員学徒慰霊塔」。


 ただ、ひとつだけ、先日、こうの史代さん原作の漫画を映画化した2007年公開の映画「夕凪の街 桜の国」を見る機会がありました。今回歩いた広島市内でもロケに使われた場所がいくつもありました。原爆の被害を負った人々のつらさを、原爆が落ちた瞬間や戦争中のことを描くのではなく、昭和33年と現在(平成16年)とを描くことで、昭和20年に起きたあの一瞬のできごとの残したものを伝えるという構成とストーリーは秀逸であり、また涙を誘います。ぜひ一度観てもらえたらいいなあと思います、この映画。


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818124046.jpg元安川越しに見る原爆ドーム。広島は63年前のその日、薄曇りで視界良好であったそうです。