毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧(最終回;終点東京)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122451.jpg ▲終点東京、10番線。

 2008年7月15日、東京駅。

 前日の15:57に熊本駅を、16:43に大分駅を出発して以来延々と淡々と走り続けてきた2レ特急「はやぶさ・富士」は、終点東京駅の10番線に定刻09:58に静かに到着しました。東京駅で降り立った乗客は少なく、また、到着を迎えたファンもほんのわずかでした。

 「はやぶさ」と「富士」が併結されたこの列車を、一部のファンのみなさんは「富士ぶさ」と縮めて呼んでいるようです。だから、僕の頭の中には「富士」が前、「はやぶさ」は後ろ、という順番がインプットされていました。しかし、僕が乗車した今回は、「本日は『はやぶさ』号、『富士』号をご利用くださいましてありがとうございました」のように、熊本から東京まで一貫して車内放送では「はやぶさ」「富士」の順で使われていました。いや、別に決まった順番があるわけではないのでしょうけれど、「富士ぶさ」と縮めて呼んでしまうのが僕にはなんだか気の毒に思えて、もし順番があって「はやぶさ」が先なのなら、縮めようがないから、みんなちゃんと「はやぶさ・富士」と呼ぶんじゃないかなと、ちょっと思ったのです。

 東京に到着すると、下関から牽引を担当してきたEF66-49が切り離されます。連結器が開放されて、機関車は少し前進して再び停車。客車のほうはドアが閉められ、行き先表示幕などの電灯が消えて回送モードになります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122459.jpg 無事、到着。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122455.jpg ▲機関車が切り離されて、回送の準備に入ります。EF66-49、かっこいいです。

 もう、東京駅の9番・10番ホームに残っている人はほとんどいません。切り離されたEF66-49は静かに上野方へ引き上げていき、しばらくすると再び戻ってきて、9番線のほうを通って新橋方へ走っていきました。今度は「はやぶさ・富士」の新橋方先頭に連結されて、品川の車両センターへ回送の牽引をするわけです。いわゆる「機回し」というやつですね。

 これで、僕の今回の薩摩の旅がすべて終わりました。移動ばかりの旅をすることが多い僕にしてはめずらしく、薩摩限定の、しかも南西部に絞ったじっくりタイプの旅になりました。そしてそのしめくくりに「はやぶさ」に完乗できてよかった。薩摩鹿児島を満喫した今年の僕の少し早めの夏休みでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122511.jpg 9番線を通って機回しするEF66

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122504.jpg ▲10番線の案内板には「大阪・出雲市・高松・大分・熊本方面」の文字。「銀河」の名残未だ消えず。