毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧(その60;朝のコーヒー)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122430.jpg寝台特急の醍醐味のひとつ、朝のコーヒー。

 2008年7月15日、まもなく東京。

 開放B寝台の下段で寝台列車の旅を楽しみながら眠りこけているうちも「はやぶさ・富士」は東進を続け、目が覚めれば終点東京はだいぶ近づいてきたようです。どこかでおはよう放送があり(どこでだったのでしょう?)、車内販売も乗り込んだようで、ワゴンの行き過ぎる音も聞こえたような気がしましたがそれは現実だったのか夢だったのか。

 いや、それは現実のようです。ワゴンの声にむっくりと起き上がり、定番のモーニングコーヒーをいただきます。JR東海の紙コップに入った熱いコーヒーを一口飲むと、寝起きのぼんやりした頭がすうっと覚めていくようです。車窓はすっかり明るくなり、時計を見れば朝07:54。まもなく富士到着です。いつの間にかこんなところまで来ていたのでした。

 朝のコーヒーを飲み終わってもまだ寝台でぐずぐずし、ようやく顔を洗おうと洗面所へ立ったのは09:35、なんともう横浜に到着です。
 「はやぶさ・富士」12号車の洗面所は、リニューアルも何も全然手のつけられていない、昔のままの白い陶器の洗面台で、鏡さえもありません。その代わりこれまた昔のままの飲用給水器も残っています。この何の飾りもない洗面台まわりを見れば、僕のように「懐かしい」という気持ちになって旅情をかきたてられる人もいる一方、リニューアルや新型車両の投入がどんどん進む中にあってこの姿は、「放って置かれただけ」という印象もぬぐえず、どうにかお客さんに乗ってもらおうという意気込みなどこれっぽっちも見せずに、廃れるままに寝台特急を見捨て続けるJR各社(特に西と九州)の姿勢が見て取れて、残念な気持ちを禁じ得ませんでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122435.jpg 昔と変わらぬ洗面台まわり。

 2レ「はやぶさ・富士」はラストスパートです。降り支度をしながら見回すと、この日の12号車に充てられていたのはスハネフ14-5、手書きの号車番号札がこれまた少し気の毒なような。いちばん端っこの1番2番寝台は車掌さんの手持ちなのか、結局使用されずに寝具がきちんと整ったままで朝を迎えています。モケットのデザインはJR九州仕様。かつてのブルー一色のデザインからすればちょっとおしゃれになったかなという気がしないでもないですが。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122444.jpg 主の来ぬまま迎えた朝。

 前日の午後4時前から走り続けてきた「はやぶさ・富士」もゴールは目前。新橋駅の長いホームをゆっくりと過ぎていきます。もう一度、12号車の車内を振り返って眺めると、そこには終点到着を前に息をひそめるようにひっそりとした通路と寝台の列がありました。もしかしたらこの車両も、来年の行く末を知っていて、それでことさらに寡黙になっているのかもしれません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122439.jpg 12号車はスハネフ14-5。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818122448.jpg ▲まもなく終点東京。ひと夜を過ごした朝の寝台車はまるで息を潜めるように静か。