2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧(その46;指宿駅)
▲シュロの木と青空と指宿駅。
2008年7月14日、指宿駅。
砂むし会館からバスで指宿駅へやってきました。
さすが南国、駅前ロータリーには背の高いシュロの木が何本も植わっていて、細くたなびく白い雲が流れる青い夏空とともに、かつて「日本のハワイ」と呼ばれた観光地・指宿の玄関口によく似合っています。しかしここもご多分に漏れず駅前はほぼシャッター街と化していて寂しい限り。砂むし会館周辺の温泉街も、僕が今回泊まった宿のようにいろいろ工夫をこらしてかなり客の入っている宿がある一方、同じ通りの並びに、廃業して今は廃墟と化したかつては旅館だった建物がうち捨てられているなど、指宿も決して安穏とした状態の観光地ではないことを窺わせます。今回の「篤姫」ブームで少しでも活気が戻ってきているとよいのですが……。
「篤姫」ブームでは、指宿駅前にも一つ変化がありました。2006年2月に駅前に市民の手によって足湯がつくられました。「ふれあい足湯」といいますが、これが今は「湯豊宿(いぶすき)の足湯『篤姫』」となって観光客を迎えています。
駅前の湯豊宿の足湯「篤姫」。
駅前でもう一つ目を引いたのは、「姉妹駅記念」の石碑。指宿駅と稚内駅は姉妹駅の関係にあるようです。1974年の日付が入る碑には「日本最北端稚内駅から3076キロメートル」と刻まれています。3000kmかあ……遠いなあ。青森まででも2000kmはありますよね。はるばる遠くへ来たもんだという感じです。途中下車なしでここから稚内まで行ったらどれぐらいかかるのでしょう(そもそも行けるのかな?)。
指宿から稚内まで3076km。
指宿駅の駅舎は平屋建てに見えるひらべったい造り(実は二階建て)。駅舎内は観光地の窓口駅ということもあって意外に広く、待合室も切符売り場も仕切りはなく、南国の開放的な印象を与えます。温泉旅館やホテルの広告もずらりと並び、観光用のパンフレットもたくさん置いてあります。指宿は1960年代ぐらいまでは新婚旅行のメッカだったそうですが、二階へ上がる階段の途中から駅舎内を見下ろすと、かつて大勢の旅行客や観光客がわくわくしながら改札から出てきていた姿が脳裏をよぎるようでした。
ようこそとシュロが出迎え。
▲指宿駅の駅舎内を見渡します。なんだか広くて開放的。