2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧(その39;今和泉島津家)
▲指宿に向けて薩摩今和泉を出発した3337D快速「なのはなDX3号」。
2008年7月13日、今和泉島津家一族の眠る場所。
「たのかんさあ」に別れを告げ、1757年に今和泉島津家の菩提寺として創建された光台寺の参道跡前を通り過ぎてしばらく歩みを進めると、今和泉島津家の墓地があります。薩摩今和泉駅のすぐ裏手に当たり、今和泉島津家初代忠郷から忠温、忠厚、忠喬、忠剛(篤姫の父)、忠冬(篤姫の兄)までの6代の殿様と奥方など14基の墓石があり、それらが100余の灯籠で囲まれています。篤姫自身は徳川家へ嫁いで江戸へ出て、天璋院として東京で亡くなり、その墓は上野寛永寺にあるそうなので、この墓地とはゆかりはありませんが、篤姫を育んだ場所に眠る今和泉家の代々の先祖が篤姫を目に見えぬところで支えていたのではないでしょうか。
菩提寺・光台寺の参道跡。
薩摩今和泉駅周辺の篤姫ゆかりの地めぐりはこれで一回りしたことになります。指宿枕崎線に架かる陸橋を渡って駅へ戻ります。
と、そこへなにやら列車のディーゼル音らしき音が。ふと見ると、薩摩今和泉駅のホームに目に鮮やかなイエローのキハ200系220形の1100番台が停まっています。12:26発の3337D快速「なのはなDX3号」のようです。「篤姫」ブームを受けて薩摩今和泉の臨時停車が行われているのですね。やがて3337Dは白煙をあげて指宿方面へと走り去っていきました。
と、そこへなにやら列車のディーゼル音らしき音が。ふと見ると、薩摩今和泉駅のホームに目に鮮やかなイエローのキハ200系220形の1100番台が停まっています。12:26発の3337D快速「なのはなDX3号」のようです。「篤姫」ブームを受けて薩摩今和泉の臨時停車が行われているのですね。やがて3337Dは白煙をあげて指宿方面へと走り去っていきました。
列車が走り去ると、また熱い夏の昼の静寂が戻ってきます。じりじりと南国の日差しに射貫かれながら駅まで戻り、やっと一服です。
ここからまた列車に乗りたいところですが、今度はバスです。指宿市内の総合施設「ふれあいプラザなのはな館」に来年の1月まで一年間限定でオープンしている「いぶすき篤姫館」へのアクセスとして走っている「いぶすき篤姫館シャトルバス」に乗るのです。
ここからまた列車に乗りたいところですが、今度はバスです。指宿市内の総合施設「ふれあいプラザなのはな館」に来年の1月まで一年間限定でオープンしている「いぶすき篤姫館」へのアクセスとして走っている「いぶすき篤姫館シャトルバス」に乗るのです。
今和泉島津家6代が眠る。
▲今和泉島津家一族が眠る墓地はたくさんの灯籠と鬱蒼とした森に囲まれ、時に列車の走る音も。