毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧(その36;篤姫ゆかりの地)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818121435.jpg薩摩今和泉駅を走り去るキハ47の1333D。のどかですなあ。

 10月第一週に帰国したときの「青森へ帰ろう」と「東京近景」のレポートに割り込まれて中断を余儀なくされていた「2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧」シリーズ、今日から再開です!ヽ(´▽`)/

 さて2008年7月13日、薩摩今和泉駅

 夏の日差しが照りつける薩摩今和泉駅のホームで1333Dが発車していくのを見送り、跨線橋を渡って駅舎へ出ます。三角屋根の時計台がついた洋風の小さな駅舎は待合スペースもこぢんまりとしています。しかし、この小さな無人駅も今やたいへんな観光スポットに変わっています。それもひとえにNHK大河ドラマ篤姫」のおかげ。篤姫ゆかりの場所が点在する薩摩今和泉駅周辺には、ドラマ放映以来多くの観光客が訪れているということで、今や駅舎内のかつて切符売り場などがあった駅事務室は観光案内所となり、待合スペースの一角や駅入り口脇にはお土産品などがずらりと並び、鉄道を使う人も使わない人もたくさん駅に出入りしていました。案内所に詰めているのはボランティアのみなさん。これまたボランティアによる「篤姫観光ガイド」もあり、ゆかりの場所を案内しながら一緒にめぐってくれます。

 ちょうどこれからスタートするというガイドさんの付いたグループがいましたが、ゆかりの場所の半分しか訪れないとのことだったので、全部めぐりたい僕はご遠慮申し上げて、ガイドさんなして駅前を出発しました。

 駅前の国道226号線を渡って海側の小路に入ると、そこは海岸沿いの松林へ続く実にのどかなたたずまい。のーんびり散策するにはうってつけの小路です。

 最初にやってきたのは、今和泉島津家の別邸屋敷跡。鹿児島城下で生まれた篤姫(幼名・一子(かつこ、おかつ))は、幼少期をこの今和泉で過ごしたとされますが、この今和泉島津家別邸に暮らしたことでしょう。錦江湾に面して屋敷石垣や松林が残っており、松の木陰を吹き抜ける風で涼を取りながら青い海を眺めてほっとひといき入れます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818121451.jpg 今和泉島津家別邸跡石垣。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818121439.jpg 松林の樹齢は300年以上とか。

 この場所には今は今和泉小学校が建っていますが、その校庭には、篤姫も使ったであろう井戸と手水鉢が残っています。手水鉢は今和泉家伝来のもので、指宿市の指定文化財になっており、高さ93㎝、水を入れる鉢の内径30㎝、外径58㎝、胴回りは最大210㎝。手水鉢は校舎の陰になって見えませんが、井戸は外からも見ることができます。手水鉢のほうはドラマ「篤姫」ブームを受けて新しく海岸に建てられたあずまやの一角にレプリカが作られ、こんこんと水がわき出ていました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818121443.jpg 今和泉小前庭前に残る井戸。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818121448.jpg ▲こちらはレプリカではありますが今和泉家伝来の手水鉢。篤姫はここで顔を洗ったか?