毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

山形ワンタッチトリップ(その2;「停車場」考)

 今日は写真一枚だけで長々書きます(^_^ゝ。

 最近、佐藤喜一さんの書かれた「鉄道の文学紀行-茂吉の夜汽車、中也の停車場」(中公新書)という本を読みました。かつて〈汽車〉に乗ったであろう文人たちや作品の主人公たちがどんな想いを抱いて〈汽車〉に乗り、いかなる行程で旅をしたかに思いを馳せ、ひと駅ひと話で全12話が収められています。たとえば第三話は「今泉駅-宮脇俊三、昭和20年8月15日の汽車」とか、第六話「熱海駅-尾崎紅葉『金色夜叉』から「湯の町エレジー」へ」、第八話「替佐駅-高野辰之「兎追いし山、小鮒釣りし川」」、第九話「桑名駅-中原中也、昭和10年8月11日の夜」……といった感じ。当時の時刻表をひいたりしながら、どの話もとても興味深く書かれています。

 佐藤氏はこの本の「はじめに」で「停車場という言い方も旧めかしい。でも、「駅」という言葉よりも懐かしい響きがある。線路の高架化、駅舎の橋上化、さらに駅ビルの誕生によって、停車場らしさが失われつつあるのは致し方ない。」、「駅は、(中略)新しい旅立ちの出発点であり、さまざまな想いを抱いて戻ってくるところでもある。ひとつひとつにドラマがあったはずだ。それらを停車場は黙って見続けていたに違いない。」と書いていらっしゃいます。
 
 僕のイメージもだいたいそんな感じ。「停車場(ていしゃば)」と聞けばどこか旧めかしく、どこか懐かしい響きを感じます。上野駅になじみのある僕は、啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」という歌もすぐに思い起こされます。しかし今となっては、もう「ていしゃば」という言葉の持つイメージを保った駅なんて、もうないんだろうなあ……

 ……と、「はやて8号」の6号車に乗って僕がぼんやり考えていると、停まったのは二戸駅。ふと車窓の外を見ると、向かい側のホームの下になにやら標識が設置されています。

イメージ 1

 「停車場中心」?え?「ていしゃばちゅうしん」?

 JR東日本の技術の粋を結集したE2系1000番台が駆け抜ける新幹線の最新のホームに「停車場」の文字を見つけようとは思わなんだ。コンクリート打ちっ放しの長い長いホームが向かい合い、枕木もなくコンクリートで固めた基盤に2本のレールを打ち付けたこの2面2線の無骨で無粋な駅が「停車場」だったとは。

 いや、これはもちろん「ていしゃじょう」と読むのでしょう。あとで調べてみたら、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」においてはその第二条十で「停車場」を「駅、信号場及び操車場をいう」と定義しています。「停車場」という言葉は今も立派に現役の技術用語として生きているのです。

 でも、よく考えてみると、今も昔も「ていしゃば」の役割はそう大きくは変わってはいないのですね。上述の佐藤さんの言葉を借りるなら、どんなに味気のないコンクリートだらけの駅だって、どんなにショッピングモールに埋もれてしまった駅ビルの中の駅だって、今も昔も、「駅」つまり「停車場」は新しい旅立ちの出発点であり、さまざまな想いを抱いて戻ってくるところでもあり、ひとつひとつにドラマがあって、今も昔もそれらを停車場は黙って見続けているに違いありません。

 だとすれば、どんなに最先端の駅にも「停車場」という文字が残っているのは当たり前なのかも。これからもいろんな「停車場」を訪れて、いろんなドラマに巡り会いたいなあ、なんて、二戸駅でのつかの間の停車時間の間に、改めて汽車旅の楽しさを噛みしめてみちゃったりしたのでしたヽ(^。^)丿。