毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

A列車で行こう!(その3;世界遺産九門口長城)

イメージ 3 ▲水上に浮かぶ九門口長城。

 2008年8月24日、綏中県田舎の旅はつづく……。

 農家でもっとのんびりしていたいところですが、時間の関係でそうもいきません。再び慌ただしくバスに乗り込んで、ここからさらに西にある「九門口長城」を目指します。

 「万里の長城」は早くに世界遺産に登録されましたが、明代に形成されたという万里の長城の一部は河北省と遼寧省の省境あたりにものびてきています。そのうち、城壁が築かれている山の尾根と尾根の間に川が流れていて、それを横切るために城壁を橋のようにした部分があり、その橋脚に当たる部分に九つのアーチがあることから「九門口長城」と呼ばれ、世界遺産「万里の長城」の一部を成すものとして後に追加登録されました。「万里の長城」の最東部を構成する長城です。

イメージ 7 ▲九門口長城の入口。

イメージ 2 ▲世界遺産を示す碑。

 九門口長城が形成されたのは明の景泰元年、西暦1450年の頃といわれます。かつては「一片石」と称されていたとか。現在は、九江河にかかる橋状の城壁と、その両側の急峻な尾根に続く城壁が数百メートルにわたって、そしてその城壁のところどころに置かれたのろし台や歩哨のための楼などが復元されて当時の長城経営の一端を垣間見せてくれます。

イメージ 4 ▲九門口長城とその東岸。

イメージ 1 ▲川の東岸も尾根を這い上がるように城壁が続き、山頂部には砲台かのろし台がのぞいています。

 見たところ、九門口長城の西岸のほうが城壁はしっかり復元されているようで、城壁の上にのぼってみると、川の上に架かっている九門口長城の部分もずいぶん幅が広くがっちりしています。積み石の黒さが城壁をいっそう堅固に見せています。西の尾根に沿ってこれまた幅の広い城壁が復元されていて、かなり上のほうまで上って行けそうでした。時間が許せばこの城壁をどこまでも登っていきたいのですが、この日は帰りの列車の時間の関係で、一時間もいることができませんでした。残念。また次回。

イメージ 6 ▲どこまでも上っていけそう。

イメージ 5 ▲尾根に続く西側の城壁の上から見おろした九門口長城。幅が広くしっかりとした橋に見える。