2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧(その7;加世田駅)
▲今はバスターミナルになっている加世田駅構内の待合所。
2008年7月10日、加世田駅。
加世田のことは、正直言ってまったく知りませんでした。ただここでバスを乗り換えることだけを考えて時刻を調べ、降りるバスのバス停と乗り換えるバスに乗るバス停は離れていないだろうか、すぐに乗り換えられるだろうか、そんなことばかり考えていました。
ところが、鹿児島空港からのバスが加世田に到着し、降りてみて初めて知ったのです。加世田って、かつて南薩鉄道という鉄道線が走っていた頃の中心駅のひとつだったのですね。
そう言われて見回してみると、たしかに今はバスターミナルとなっている加世田駅は、ホームや引き込み線、機関庫などがかつてあったであろう配置と形状になっているような気がします。
そう言われて見回してみると、たしかに今はバスターミナルとなっている加世田駅は、ホームや引き込み線、機関庫などがかつてあったであろう配置と形状になっているような気がします。
阿多駅の駅名標。
SLの動輪も保存展示中。
南薩鉄道は、1914年(大正3年)に伊集院~伊作間が開通し、1930年には阿多~知覧間(知覧線)、1931年には伊集院~加世田~枕崎間が全通します。加世田~万世間の支線(万世線)というのもあったそうです。加世田には1958年まで本社が置かれていました。一時は鹿児島までの直通列車も運行されましたが、1962年万世線廃止、1965年には知覧線も廃止され、1983年に豪雨災害で全線不通となり、復旧がなされないまま翌1984年に全線が廃止になったのだそうです。日本鉄道史の一ページがこんなところにあったとはつゆ知りませんでした。
改めて加世田バスターミナル(=加世田駅)構内を見回してみると、そこここに南薩鉄道時代の遺物が置いてあります。各駅のホームに設置してあったと思われる駅名標もいくつかあります。加世田、知覧、阿多など。蒸気機関車の動輪のようなものも展示してありました。
▲知覧駅の駅名標。特攻隊の出撃で知られる知覧へもかつては鉄道で行けたとは。