毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2008年夏、はやぶさ、薩摩三昧(その5;鹿児島へ)

イメージ 2 ▲島原外港から雲仙普賢岳に至る一帯を真下に見ながら南下中。

 2008年7月10日、鹿児島へ。

 福岡発鹿児島行きJAC3649便に乗り込んでみると、36人乗りの小型プロペラ機だけあって機内は狭い!通路をはさんで1×2列にシートが並んでいて、一見JR各社の1×2列掛けグリーン車の車内のように見えなくもありません。Saab340の一人掛けシートはA席で、僕は今回は8C席、二人掛けのほうの窓側です。

 搭乗前のセキュリティチェックを5人ずつやったりした関係で、JAC3649便は結局15分ほど遅れて離陸しました。これでは預け荷物がなくとも鹿児島では定刻到着10分後発車予定のバスに間に合わせることは不可能になりました。

イメージ 1 ▲鹿児島行きJAC3649便Saab340の機内は1×2の3列仕様。

 南から北へのRWY34から離陸するとすぐに大きく右旋回をしながら福岡県を北東から南西へ横切っていきます。天気に恵まれ、低い高度を飛ぶプロペラ機ならでは地上の風景を楽しむことができます。機窓右側にはやがて島原半島が見えてきました。島原半島の付け根のあたりの有明海に一直線に線が引かれ、そこより陸寄りが茶色く濁りきっているのが見えます。あれはもしや水門を開ける開けないで問題になっている諫早湾の潮受け堤防でしょうか。もしそうだとすると、堤防の内側はとても海には見えません。ただの泥水か陸地です。あれでも「干拓事業は必要」とする国の主張は、上空から泥水色の海を見る限りでは説得力を感じませんでした。

 そうこうしているうちに真下に島原半島が迫ってきました。ちょうど島原湾から島原外港を見下ろす感じで北から南へ通過していきます。手前に島原の天狗山、眉山、その向こうに雲仙普賢岳の山容が、少し霞みながらもよく見えます。普賢岳の噴火による土石流の発生で大きな被害がもたらされた地域も今では復興がなったわけですが、そのような大災害を経験しながらもがんばってきた島原鉄道の南半分が、今年(2008年)4月に廃止になってしまったことは返す返すも残念でなりません。

 機内ではキャンデーが配られ、やがて高度が下がってぐんぐん鹿児島の山並みが迫ってきたかと思うと、もう鹿児島空港に到着です。それほど遅れは引きずらずに着いたようですが、さすがに14時発のバスには間に合わないでしょう……。

イメージ 3 ▲諫早湾、島原湾、島原外港、雲仙普賢岳を右に見ながら九州の西岸を南下しつつ鹿児島を目指します。