日本列島縦断夏の旅(その22;終点京都)
▲32レ特急「はな・あかつき」、終点京都に到着~。
2006年8月25日(金)、夜が明けた。
寝台特急「なは・あかつき」は、本州に入ってEF66に牽かれて漆黒の闇を快走し(寝てたからよくわからないけれど、たぶん(^^ゞ)、夏の夜明けはもちろん早く、すでに明るくなった瀬戸内を眺めながら(寝てたからよくわからないけれど、たぶん(^^ゞ)、「おはよう放送」が入ったのは姫路を過ぎてからだったでしょうか、それをしおにぼちぼち起き出して見ればこの日も朝からぎんぎんに暑そうないい天気~~。
三ノ宮には06:53到着。いよいよ本格的に降り支度を始めます。学校はまだ夏休みですが、それでも通過する駅のホームではもうラッシュが始まっているようです。
そうこうしているうちに「なは・あかつき」は大阪に到着しました。そもそもこの4号車には下関を出たときから他に誰も乗っていないので、大阪駅でどれぐらいの人が降りたのかもよくわかりません。きっとぱらりぱらりなんでしょうね~。いや、「あかつき」編成のほうにはそれなりに乗っていたかも……
そうこうしているうちに「なは・あかつき」は大阪に到着しました。そもそもこの4号車には下関を出たときから他に誰も乗っていないので、大阪駅でどれぐらいの人が降りたのかもよくわかりません。きっとぱらりぱらりなんでしょうね~。いや、「あかつき」編成のほうにはそれなりに乗っていたかも……
デュエット、改造されて15年。
降り支度も済んで立ち上がると目に入ったのは4号車の車番プレート「オハネフ25-2108」。その横には「小倉工場平成3年改造」というプレートもありました。「デュエット」になってからもすでに15年が経過していたのですね。
最後尾は「なは」の電源車。
大阪、新大阪と停まって、いよいよ定刻07:53、「なは・あかつき」は終点京都に静かに滑り込みました。列車は2番線に到着したようです。平日の朝ということで、通勤電車も発着する2番線は混み合っていて、ぼやぼやしていると叱られそうです。そんな時間帯に「なは・あかつき」がホームにどれだけ停車しているかわからないので、そそくさと先頭へ行ってお顔を拝見。下関から牽引を担当してきたのはEF66-50号機でした。
今はもういない「なは・あかつき」。
▲結局「なは」乗車はこれ一回きり。マークの色が褪せないうちに通して乗りたかった……。