毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

日本列島縦断夏の旅(その21;「なは」初乗車)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818115729.jpg ▲暗闇の中門司駅で切り離されるのを待つED76-91。長崎からおつかれさまでした。

 2006年8月24日、「なは・あかつき」。

 この連載記事は「北斗星(2006夏)」という書庫に入っているのですが、今日でもう連載も21回目だというのにまるで「北斗星」が出てくる気配がありません。ていうか、ずっと九州ネタできてるし。おかしいなあ……(-_-)。

 さて、8月25日も夜が更けてきました。臼杵から乗り続けてきた「にちりん26号」もまもなく終点小倉に到着。臼杵からはちょうど2時間かかって23:21、3番線の到着です。ホームに下りるなりもわ~~っという熱帯夜のじっとりした空気がまとわりついてきて息苦しいほどです。

 しかし暑がってはいられない。ダッシュで8番線まで移動です。乗り換え時間はわずか3分。なんとか8番線に駆け上がってひといきついた時に入ってきたのは、小倉23:24発の32レ寝台特急なは・あかつき」です。写真を撮っている時間がないのでとにかく乗り込みます!

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818115733.jpg なぜ「なは」を撮ってない……

 以前「彗星・あかつき」がペアだったときは「彗星」のほうに2回、「あかつき」のほうに2回乗りました。しかし、「なは・あかつき」のカップリングになってからは乗るのは初めてです。今回乗るのは4号車B寝台車デュエット、つまり「なは」編成のほうなので、「なは」は初乗車です。それほど狭さを感じなくてなかなかいい乗り心地。しかしまずは次の門司で機関車の付け替えを見に行かなければなりません。4号車から10号車の「レガートシート」まで前進して門司到着。6分の停車です。

 しかーし、門司駅では先頭の機関車はホームの明かりが途切れた真っ暗闇の中。ほとんど写真は撮れません。長崎から「あかつき」を牽いてきた機関車が門司までを担当するはずですが、それはこの日はED76-91だったようです。赤い車体と「なは」と「あかつき」を合体させたヘッドマークがフラッシュに浮かび上がります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818115741.jpg フラッシュに浮かび上がるHM。

 門司を出て7分で、関門トンネルを抜けて下関到着。ここでも5分停車して機関車を付け替えますが、ホームが途切れてしまって顔を拝みに行けません。しかたがないので熱気の残るホームでしばしたたずみます。もう深夜12時近くなった下関駅のホームに人影はなく、この日の「なは・あかつき」の乗車率も決してかんばしくはなかったようです。4号車のデュエットに至っては我々が使用した一室以外はとうとう終点京都までドアが閉まることはありませんでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818115737.jpg下関駅のホームは深閑として、ただ夜が更けていきました。