毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

さよなら「出雲」・山陽山陰の旅(その17;終点東京)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818115122.jpg寝台特急「出雲」、定刻06:57に終点東京到着。出雲市から953.6kmを走り抜きました。

 2006年2月20日、朝、東京駅。

 米子を出た寝台特急「出雲」の7号車の乗客はあいかわらずちらほらで、すっかり日が暮れて真っ暗になった車窓を横切る街灯や家々の光を眺めながら、車内は静かに時間が過ぎていきます。

 僕は出雲市駅で買った地酒のカップ酒を開けて、「吾左右衞門寿し」などをつまみます。これこそ夜行列車の醍醐味。酔ったり眠くなったりしたそのまま寝台に横になればよい。夜の更けるのを気にせず、レールを刻む音と揺れにまかせてただのんびりと過ごす。そして朝目覚めれば目的地―― これほど都合のよい移動手段はないはずなのに、それを利用する人はどんどん少なくなり、寝台特急「出雲」もあと一ヶ月もしないうちにその役目を終えることになってしまったというわけです。

 倉吉、鳥取、浜坂、真っ暗闇の中を餘部鉄橋を渡って香住、城崎温泉、豊岡、福知山と停まって、その次の綾部には23:09の到着。そのあとは1時間17分走り続けて京都に停車です。夜も更けました。本当の「鉄」ならきっとここで寝たりはせずに、京都で機関車のつけかえを抜かりなく観察するのでしょうけれど、僕はもう横になります。寝台列車でごとんごとんと揺られながら少し本を読み、それから眠りに落ちるのがたまらなくよいのです。

 浜松、沼津、熱海と「出雲」は停車したようです。それから横浜。もう起き出す時間。慌ただしくなりはじめた月曜日の朝、本格的なラッシュがまだ始まってはいない06:57、寝台特急「出雲」はゆっくりと終点東京駅の10番線に到着しました。少ない乗客が降りてしまうと、9・10番線ホームはすぐに閑散となりました。意外なことに先頭で写真を撮るファンの姿もほとんどありません。でもこれが日常の到着風景なのでしょう。

 京都から先頭に立ってきたのは田端所属のEF65-1111。ぞろ目です。出庫したばかりなのか塗装はぴかぴかで、まるで新車のようです。クリーム色とブルーのEF65に据え付けられると、「出雲」のヘッドマークはがぜん映えます。東京~出雲市間953.6kmを上り13時間18分、下り13時間44分で走り続けた寝台特急「出雲」。2006年3月18日のダイヤ改正で、その任を「サンライズ出雲」に完全に譲って姿を消します。東京口EF65の牽引する貴重なブルトレがまた一本なくなってしまったというわけです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818115131.jpg この色合いのHM、好きです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818115127.jpg ▲初レタッチ(^^ゞ。というか、いつまでも忘れたくない、忘れられない寝台特急「出雲」であります。