毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

さよなら「出雲」・山陽山陰の旅(その11;三次→浜原)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114834.jpg ▲朝もや残る山合の小駅・口羽で小休止する444D。運転士さんもホームで背伸び。

 2006年2月19日、三江線

 まだ真っ暗の中を三次駅を発車したキハ120形気動車単行の444Dは、暗闇の中をとことこと走ります。どの駅でも誰も乗ってきません。三次を出たときから他の乗客もいないので降りる人もいません。過疎地域の寂れゆくローカル線そのものです。

 そろそろと夜が明けてきた頃、444Dは口羽駅に到着しました。入れ違いで三次行きの441Dが去ってしまっても、444Dは13分ほど停車します。ホームに降りると、朝もやの残る山に囲まれた駅と小さな集落が冬の冷気に包まれています。運転士さんもホームにおりて背伸びを繰り返します。交換設備もあり停車時間も長い駅なのに、誰も乗ってくる人はいません。日曜日だからでしょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114829.jpg 441Dの去った口羽駅

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114838.jpg 車内はみごとな貸し切り状態。

 三江線と言えば、この年(2006年)7月の大雨で不通となり、12月には三次~浜原間は復旧したものの、浜原~江津間は復旧が長引き、全線復旧は翌07年の6月まで待たねばならなかったという深刻な被害がありました。僕は、このときの乗車体験から、運休が長引くというのを聞いたとき、宮崎・高千穂鉄道のように復旧できないまま廃止に追い込まれるのではないかと真剣に心配しましたが、なんとか全線復旧がなり、しかも以前より多少は利用しやすいダイヤになったのは喜ばしいことです。 

 三次を出たときからずっと寄り添っている江の川が潮駅のあたりでその川幅をぐっと広げると、列車はいったん江の川を離れ、ほどなくして終点・浜原に到着します。この日三次から浜原まで走った444Dはブルーのラインのキハ120-309でした。前回も書いたとおり、浜原からもう一駅行けば粕淵で、柿本人麻呂伝説ゆかりの地につながるのですが、列車はどうしても交換施設などがある浜原駅止まりになってしまうようで、ちょっと残念です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114842.jpg 川幅が広がった江の川

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114846.jpg ▲444D、終点浜原到着。山陰カラーのキハ120-309が担当してくれました。