毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

さよなら「出雲」・山陽山陰の旅(その10;三次駅の朝)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114817.jpg ▲まだ朝6時前の三次駅構内。それでも煌々と明かりが灯り、もう2本の列車を送り出しました。

 2006年2月19日(日)、早朝の三次駅。

 前日「みよし6号」に乗り続けてそのまま備後落合まで行き、翌日は木次線スイッチバック体験というのにも惹かれましたが、木次線スイッチバックは未体験ながら宍道亀嵩間は乗ったことがあります。そこで今回は三次で一泊して、完全未乗車路線である三江線に乗ってみることにしました。

 全長108.1kmの三江線。ローカル線としてはかなり長い距離を擁する路線だと思いますが、全線を直通する列車は下り2本、上り1本のみ。あとはほぼ中間の浜原を境に両側でそれぞれ3~5本ずつ列車が走っていますが、浜原での接続は良いとは言えず、青春18きっぱー泣かせの路線と言えそうです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114810.jpg 三次駅周辺はまだ真っ暗。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114814.jpg 改札周りにも人影はなし。

 僕が三江線に関心を寄せるもう一つの理由は、沿線に柿本人麻呂伝説ゆかりの地だということ。歌人斎藤茂吉は、柿本人麻呂の「鴨山の磐根しまける吾をかも知らにと妹が待ちつゝあるらむ」という歌に現れる「鴨山」こそが柿本人麻呂の終焉の地であるとして、その「鴨山」はいったいどこにあるのかと、昭和初期に、浜原の一つ江津寄りの駅・粕淵から入っていく湯抱温泉に逗留しながら探査をしました。石見の地には数多くの柿本人麻呂伝説が残っていますが、粕淵や湯抱温泉は、その一つを訪ねて僕が行ってみたい場所の一つなのです。

 とはいえ、今回は時間がないので粕淵などで降りてはいられません。まずは三江線初乗車ということで、三次から江津まで乗り通すつもりです。

 ただでさえ日の出の遅い西日本の2月の朝6時前、三次駅の周辺はまだ真っ暗です。それでももう一日の活動は始まっていて、5時台から何本かの列車が三次駅を発っていきます。05:27発府中行き普通列車1720Dが一番列車。その1分後には05:28発の広島行き普通列車1851Dが発車します。その次が06:07発の三江線浜原行き普通列車444D。改札を出て右のほうへ行くと、構内のかなりはずれのほうに切り欠き式の0番線ホームがあり、まだ真っ暗闇の中にテールランプとヘッドライトと、車内の明かりをほのかにホームに投げかけて、一両編成のキハ120形気動車がなんだかエンジン音も控えめに発車を待っていました。乗客は他には誰もいません。貸し切り状態で三次駅を発車です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114825.jpg 三次は三江線の起点。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818114821.jpg ▲三次発浜原行き普通列車444Dはキハ120形の単行運転。