毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

はじめての「SL冬の湿原号」④(稚内到着)

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 2005年1月21日、稚内へ。

 宗谷本線を名寄から走ってきた4329Dの道のりも終わりに近づいてきた15:14、幌延に到着です。幌延ではラストスパートのために息を整えるかのように22分も停車します。

 かつてはここから留萌まで羽幌線が延びていました。いつか乗りたいと願っていたのに、一度も乗れないまま廃止になってしまった羽幌線。今もまだ廃線跡は残っているのでしょうか。羽幌線の車窓から見る日本海はきっと素晴らしかったでしょうね。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024939.jpg 幌延で22分の大休止。

 この停車時間を利用してちょっと駅前に出てみましょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024914.jpg 幌延駅。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024918.jpg 駅前に人影なし。奥が幌延駅。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024922.jpg 青空とはウラハラに、極寒。

 午後も3時を回れば冬の北海道ではもう日が傾き始める頃合いです。日が差してはいますが、ぎりぎりと締め付けられるような寒気が漂っていて、今すぐにでもダイヤモンドダストが出現しそうです。歩くたびに足下でぎゅっぎゅっと雪の音がするのは気温がかなり下がっている証拠。鼻の頭も耳たぶも指先もしびれてこないうちに、駅前探索もそこそこに駅へ引き上げます。

 ホームに戻ると、列車の後部は完全に凍り付いてしまっているではないですか。列車は幌延から列車番号を4333Dに変えて稚内へ向かいます。幌延発車は15:36。キハ54形の車内は二人がけの簡易リクライニングシートが向き合う集団お見合い形に改造されていて、車両中央部の向かい合わせの席の間には大きめのテーブルが設けられているのが特徴です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024926.jpg 車輌も完全凍結。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024930.jpg キハ54形の暖かーい車内。

 夕闇迫る日本海を眺めながら抜海、南稚内と抜けて、4329D改め4333Dは定刻16:39、終点稚内に到着しました。名寄から3時間57分、一駅ずつ丁寧に停車しながらの旅が終わりました。稚内までこうして各駅停車でやってきたのはこれが初めて。道北の厳しいけれど美しい冬の大自然と、その中に暮らす人々のための小さな駅と小さな集落をたんねんにたどってくることができるのも普通列車ならではでしょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024935.jpg 夕闇迫る頃、稚内到着。

 ところで、日本最北の町は、寒い!

 こりゃあかんというわけで、宿に荷物を落ち着けるや、まずは温泉へ。駅のほうから野寒布岬をぐるりと回って日本海側に出ると見えてくる「稚内温泉童夢(ドーム)」。日はとっぷりと暮れ、海からの暴風が吹き付けて激寒ですが、地元の人々も車で大勢やってきて意外なにぎわいです。緑がかったお湯はちょっとぬるっとした感触でよく温まります。ガラス張りの窓からはきっと日本海が見えるのだろうけれど、残念ながら日の暮れてしまった今となってはそれは望めません。

 すっかり温まった身体を冷まさないようにそそくさと宿に帰り、朝6時半に羽田空港からスタートした長い一日がようやく終了しました。明日は……明日は……明日はどこへ行くんだったかな?(・_・?)?