毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

さよなら「出雲」・山陽山陰の旅(その6;西岩国駅)

イメージ 1 ▲昭和4年開業のモダンな建築の西岩国駅。正面のアーチは錦帯橋がモチーフだとか。

 2006年2月18日、西岩国駅。

 西岩国駅へ行ってみたいと思ったのは、当時「読売新聞」日曜版が連載していた全国の駅を紹介する記事で西岩国駅の写真を見たそのときでした。洋風なたたずまいにオレンジ色の屋根瓦、そしてそこはかとなく漂うレトロな雰囲気。こんな駅舎をいつか訪れてみたいと思っていましたが、それがこのとき実現したのです。

 西岩国駅は1929年(昭和4年)に岩徳線の岩国駅として開業(あ、ということは来年80周年ですね!)。5年後の1934年には今の岩徳線が山陽本線として開通し、錦帯橋への観光客のほとんどがこの駅を利用するなど岩国観光の表玄関として最盛期を迎えます。しかし、現在の岩国駅のほうが栄えてきたことにより、1942年には岩国駅の名称を現在の岩国駅(当時の麻里布駅)に譲り、西岩国駅に改称されます。岩徳線岩国駅→山陽本線岩国駅→同西岩国駅→岩徳線西岩国駅と変転の激しい歴史を歩んできた駅だと言えます。

イメージ 2 ▲駅前の歩道橋の途中からちょっと見下ろす感じで。往時は大勢の観光客が行き交っていたのでしょう。

 その駅舎は大正末期から昭和初期にかけての代表的な洋風建築。正面玄関などには錦帯橋をモチーフにしたデザインが随所に取り入れられているとかで、1979年の開業50周年を節目に駅舎の永久保存が決定したのを期に木製の改札口や待合室天井のシャンデリアなどが開業当時の姿に復元されたそうです。

 上のような書かれた駅前の説明板には、「岩国」という地名の理由も書いてありました。曰く、万葉集巻四の「周防なる磐国山を越えむ日は たむけよくせよ荒きその道」から来ているのだとか。
 駅舎正面駅名標の上には「宇野千代のふるさと」という看板も。「おはん」で有名な女流作家・宇野千代(1897-1996)の出身地でもあったのですね。

イメージ 3 ▲ところでこの三角屋根、なんとなく今はなき鹿島鉄道の鉾田駅の駅舎を彷彿とさせませんか?(^^)