毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

中国鉄路あっちこっち(興城古城)

イメージ 1 ▲興城古城南門。この周辺が興城ではいちばんの繁華街みたいです。

 2006年10月7日、興城古城。

 「城」という字は、もともと「都市をめぐる城壁」、さらに転じて「城壁で囲まれた町全体」のことを意味する字です。日本で言う「おしろ」すなわち「敵を防ぐために土や石で堅固に築いた大規模な構造物」という意味は日本語固有の意味です。

 この字からもわかるとおり、中国で「まち」と言えば、その四方が城壁で囲われ、その中に人々が住み、四方に城門があるというのが普通の形でした。ですから今でも中国語では「まち・都市」のことを「城市」といいます。
 そんなわけで、中国ではちょっとした町ならば古来どこでも四方が城壁で囲まれていて、それが多く残っていたのですが、その後経済発展や都市化が進んでくるに伴い、城壁があるとじゃまだということで、多くの町で取り壊されてしまうようになりました。そして現在、四方の城壁がほぼ全部残り今でも町が囲まれている形態を残しているところは西安や山西省平遥などめっきり少なくなってしまいました。興城は、四方に城壁が残るその数少ない町の一つなのです。

 四方の城壁に囲まれた一画は「興城古城」と呼ばれていますが、1428年、明代宣徳年間に建造された城壁で、清代乾隆年間に再建されました。ほぼ正方形をしており、全周3,274m、高さ8.8m。四方に城門があり、東西の門と南北の門を結ぶそれぞれの道が城内中央で交わっています。その交点には鼓楼が建ち、各城門の上には「箭楼」と呼ばれる楼閣があり、また城壁の四隅の角には砲台があります。城内には多くの民家があり住民も大勢いますが、家屋は清代の面影を残した造りになっているので、城門から内側に入ると、清や明の時代にタイムスリップしたような感覚に襲われます。

イメージ 6 ▲城内を東西に貫く石畳の道。

イメージ 3 ▲東門とその上に建つ「箭楼」。

イメージ 2 ▲南北に貫く通りはとてもにぎやか。鳥居形の「牌坊」が並び、いちばん奥には「鼓楼」が見える。

 四方を囲む城壁の上は、登ることができます。そして、城壁の上を歩いて古城を一周することができるのです。まっすぐに美しく建てられた城壁、城門の上に建つ楼閣、城壁から見下ろす人々の暮らし、はるか遠くに望まれる山並み、そういうものを感じながらのんびりのんびり城壁の上を散歩すると、なんだか妙に心地よく、ゆったりした気持ちになってくるのです。

イメージ 7 ▲北側の城壁。城壁の右側が城内。遠くの山並みまで見通せる。

 城壁の上から民家の庭を眺めると、真っ黄色の山が見えます。トウモロコシです。秋に収穫したトウモロコシを大量に庭先に積んで乾燥させ、飼料にします。その数はハンパじゃありません。土埃色の風景の中に、トウモロコシの自然な黄色は目に新鮮で、豊作の喜びが感じられるようです。
 ふと視線を城壁沿いの街道に移すと、ご近所さんたちが縁石に座り込んで象棋(中国将棋)に興じています。三人とも布靴を履いていて、手前のおじさんは今どき人民帽に人民服っぽい紺色の上着を着ています。おしりに敷いている派手な敷物は奥さんがこしらえてくれたミニ座布団でしょうか。まだまだ昔ながらの中国の田舎の風景が、ここにはごく普通に残っていました。

イメージ 5 ▲民家の庭先には鮮やかなイエローのトウモロコシの山。

イメージ 4 ▲「あーーそれ違う違う!」「っるせぇな、黙ってろい」「ほらーもう詰んじゃうよ~」