毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2007・年納め全国どさまわり行(その43;映画「待合室」)

【2010年1月12日の追記】

 2007年暮れのどさまわり旅日記を、書庫移設に伴い、リバイバル掲載しています。

小繋駅を舞台にした映画「待合室」を観てから、僕は小繋駅に通い続けています。別に映画に感傷的になってのでもなく、「命のノート」に何か書き留めたいからでもありません。でも、打ち棄てられたようにカーブを描きながら伸びたホームには何か惹かれるものを感じたのでしょう。

 この映画は、小繋駅を白い粉雪を舞い上げながら寝台特急カシオペア」が通過していくシーンから始まります。優等列車から見放され、倍近い運賃という足かせを負って、新幹線とは無縁の生活を送る人々の暮らしに、同じ負担を強いられた三戸出身の僕がどこか共鳴したのかもしれません。それでも沿線住民は一所懸命生きている。その同じことが、今年暮れに八戸以北で始まろうとしています。

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https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140957.jpg ▲久しぶりにやってきましたIGRいわて銀河鉄道小繋駅

 2007年12月12日(水)、映画「待合室」を思う。

 映画「待合室」に触発されて、2006年11月に一度訪れた小繋駅。映画のシーンと同じような雪景色の小繋駅が見たくて、また来てしまいました。映画のDVDが07年12月21日に発売になったからというのもあります。ジャズシンガー綾戸智絵が初めて映画の主題歌を歌ったというこの映画、小繋駅を舞台に、希望を見失わずに一所懸命生きることをおしえてくれます。なんだかいいかげんになってしまった、あるいは一所懸命ではなくなってしまった、あるいはつらいこと苦しいことに耐えることを忘れてしまった今の日本という国に住んでいる人みんなに見てほしいと思った映画です。

 さて、その小繋駅のホームに下り、八戸行きが去ってしまうと、そこには、映画ほどではないにせよ、雪に覆われた真っ白い風景がありました。映画のワンシーンを訪れることができたことをうれしいと思う一方、かつて東北本線として優等列車が行き交った東日本の大動脈の凋落ぶりを目の当たりにして、涙ぐみそうにもなりました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140935.jpg 跨線橋から二戸方を望む。

 しかしそうは言っても、JRから切り離されたと言っても、貨物輸送を中心に大動脈であることには変わりなく、それなりの列車の行き来はありました。

 まず09:55にやってきたのはEH500-5に牽かれた上りコンテナ貨物列車。編成は短いですが、轟音とともに走り抜けていきました。
 次は小繋10:01発の盛岡行き普通列車4522M。IGR車の2両編成ですが、小繋駅での乗降はありません。寂しいです。
 続いて10:28、EH500-34がコンテナを牽いて、駅舎を揺るがしながら上り線を疾走していきました。駅舎にいちばん近い線路を走ってくるので駅舎側にいるとすごい迫力です。10:38にはEH500-52が単独で下り線を回送で走っていきました。
 僕が次の列車を待つ一時間ちょっとの間にEH500、エコパワー金太郎を3両も見かけることができました。すっかり東北地区の主力になってしまったようで、ED75を1両でも見られればという思いははかなく潰えました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140927.jpg EH500-5の牽くコンテナ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140931.jpg 10:01発盛岡行き4522M。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140948.jpg EH500-34の牽くコンテナ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140952.jpg EH500-52の単機回送。

 小繋駅の小さな駅舎の中には木製のベンチが三つと机が一つ。机の上には、映画「待合室」が製作されるきっかけとなった「命のノート」が今も置かれ、その脇には、小繋駅のスタンプを押した「ようこそこつなぎへ」と書かれた記念紙と小繋小学校校歌の楽譜のコピーが誰でも持ち帰れるように置いてありました。ただ、時間が早かったせいか委託の駅員さんはおらず、映画の中でも、06年11月に来たときも赤々と燃えて駅舎を暖めていた石油ストーブはなくなっていて、次の列車を待つ身には寒さがこたえました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140940.jpg 石油ストーブが消えた待合室。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140944.jpg 「命のノート」健在。

 さて、僕は11:02発の八戸行き普通列車4527Mに乗ります。DVDが手に入ったらじっくりと何度も見返そうと思いながら、小繋駅をあとにしました。乗り込んだ列車には車掌さんが乗務していて、八戸までの車内補充券を切ってくれました。なんだか昔懐かしいようなすごく大きな補充券で、手書きで乗車下車駅に丸をつけ、日付、人数、金額を書き込んで、よい記念になりました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818141001.jpg ▲手書き書き込み式の車内補充券。周辺JR線との乗り越し精算もできるようになってます(^-^)。