毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2007・年納め全国どさまわり行(その31;松山城)

【2009年12月4日の追記】

 2007年暮れのどさまわり旅日記を、書庫移設に伴いリバイバル掲載しています。「青森へ帰ろう」書庫に保存していたものを「あかつき(07暮・年納め)」書庫へ移動しています。

 松山は僕の好きな街のひとつで、ここ数年で何度も足を運んでいますが、なぜか松山城へはなかなか上ったことがなく、路面電車の窓から眺めることばかりでした。それがようやくこの2007年暮れのどさまわりのときに初めて上ることができました。2007年12月3日のことですからちょうど2年前ですね。名残の紅葉の色もすばらしく、美しい日本の美しい晩秋の姿を楽しむことができて、とてもすてきな松山城でした。

------------------------------------

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140406.jpg ▲白壁と黒い板壁が美しい松山城天守閣。

 2007年12月3日(月)、松山城

 松山には何度も来ていますが、一度も松山城に登ったことがありません。今回は初めて松山城を訪れます。

 松山城は、標高132mの山の上に本丸がある(こういう配置は珍しいのでは?)ので、山頂まで気軽に行けるロープウエーとリフトが設置されています。気候のいいときは開放感たっぷりのリフトがイチオシです。松山といえば「坊ちゃん」の夏目漱石正岡子規ですが、子規は「松山や秋より高き天守閣」などと詠んでおりますな。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140411.jpg 本丸へ向かうゆったりした道。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140415.jpg 本丸はかなり入り組んでます。

 松山市のHPなどによると、松山城は日本で12カ所しか残っていない江戸時代以前に建造された天守閣を有する城郭の一つで、加藤嘉明公が1602年から築城を開始し、わが国の築城史上最長の歳月(四半世紀)を完成までに要した四国最大の城郭であるとのこと。1635年から明治維新までの235年間にわたって親藩大名であった松平家の居城であったことも有名です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140419.jpg 天守閣から眺める市南部。

 ロープウエーの降り口からゆっくりと歩きながら本丸の中を散策・参観します。わが国最後の完全な城郭建築と言われている大天守の最上階からは360度眺望がひらけ、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができます。目をこらすと、松山空港を離発着する航空機の姿も視認できます。天守閣の建つ城山、それを取り囲む松山の城下町、そしてその向こうに瀬戸内海、なんとも気持ちの良い景色であります。

 さて、松山城の参観が終わったらば、上りはロープウエーで来ましたが、今度はオープンエアのリフトで下って、定番スポットへと移動です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140428.jpg 北側には瀬戸内海が望まれる。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818140423.jpg松山城にも初冬の名残の紅葉が美しく残っていました。石垣の反りがまた立派で美しいです。