毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

2007・年納め全国どさまわり行(その18;100系「こだま」)

【2009年10月27日の追記】

 2007年暮れのどさまわり旅日記を、書庫移設に伴いリバイバル掲載しています。

 新大阪から広島まで0系「こだま」を完乗したあとは、続けて100系「こだま」に乗りました。100系「こだま」は今も健在なんですよね。これも完全引退が近くなったらオリジナルカラーに塗り戻されるのかしら。

 山陽新幹線区間はトンネルが多くて車窓の景色はいまいちですが、それだけ山間区間が多く、のどかな雰囲気がただよいます。それを「こだま」で一駅一駅のんびりいくのはなかなかいいですねえ。

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https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818135808.jpg新岩国で肩を並べる100系「こだま」。

 2007年11月30日、100系「こだま」。

 丸い0系「こだま」に乗って広島へやってきました。広島では23分の連絡で博多行きの「こだま」に乗り換えます。もっと時間がとれればいったん駅の外へ出て、駅ビルの中のお好み焼きストリートで広島風お好み焼きを楽しむところですが、そうもいきません。

 広島からは15:11発の「こだま725号」です。今度の「こだま」は「とんがった」100系車両です。かつて「グランドひかり」として東京~博多間を疾駆した100系も、今や山陽区間の「こだま」で見られるだけになってしまいました。一度岡山から東京まで100系「ひかり」のダブルデッカーの一階個室に乗ったことがあります。それがほとんど唯一の僕の100系にまつわる思い出でしょうか。ちなみに東北新幹線にも同じ顔の200系がいたのですが、出会える確率はものすごく低かったです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818135757.jpg 広島からは100系「こだま」。

 さて、100系の「こだま725号」(6両編成)もわずかの乗客を乗せただけで広島を発車です。新岩国で5分、徳山で5分、厚狭で4分の追い抜かれ停車をしながら、博多までは1時間53分の所要です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818135802.jpg 15:28、新岩国着。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818135816.jpg 15:49、徳山着。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818135821.jpg 16:20、厚狭着。

 広島の次の駅、新岩国100系が肩を並べました。新岩国の発着時間がこちらとまったく同じ、岡山行きの「こだま656号」です。100系「ひかり」の全盛時もターミナル駅以外では肩を並べることはあまりなかったでしょうに、いきなりこのツーショットが見られてちょっとうれしく思いました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818135812.jpg 新岩国では100系のツーショット。

 いくつものトンネルとその合間に晴れ渡った瀬戸内を眺めながら、やがて関門トンネルもくぐって、九州に上陸しました。17:04、終点博多到着です。ここまで来るとやはり青森や東京などよりはずいぶん日が長いことを感じます。

 夕闇迫る博多駅で、この日の最終ランナー「かもめ37号」へ乗り換えます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818135825.jpg ▲そろそろ傾いてきた太陽が100系「こだま」のラストスパートを照らします。