2007・年納め全国どさまわり行(その11;神岡鉄道線路跡)
【2009年10月8日の追記】
2007年暮れのどさまわり旅日記を、書庫移設に伴いリバイバル掲載しています。
それにしても痛々しかったというか寂しさ極まったのは、神岡鉄道の線路跡。2006年12月の全線廃止に伴い、きれいに線路が剥ぎ取られ、無残と言えば無残、きれいさっぱりと言えばきれいさっぱり、線路だけがなくなってしまっていました。「のりかえ 神岡方面」という案内板だけが残っていただけにますます寂寥感増大です。この案内板は今も残っているのでしょうか。
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▲猪谷からはJR東海の車両で高山を目指します。
2007年11月29日、猪谷駅。
高山本線が3年ぶりに災害から完全復旧したといううれしいニュースがある一方、猪谷駅には寂しいニュースもありました。
前回来たときには「おくひだ2号」と称する車両が高山方のトンネルを出て猪谷駅に到着するのに出くわしたものですが、その「おくひだ2号」が走っていた神岡鉄道は、今はもうありません。奥飛騨温泉口と猪谷を結んでいた神岡鉄道は、2006年12月に全線廃止になってしまったのです。
前回来たときには「おくひだ2号」と称する車両が高山方のトンネルを出て猪谷駅に到着するのに出くわしたものですが、その「おくひだ2号」が走っていた神岡鉄道は、今はもうありません。奥飛騨温泉口と猪谷を結んでいた神岡鉄道は、2006年12月に全線廃止になってしまったのです。
前回のあの日「おくひだ2号」が到着した猪谷駅のホームに立つと、神岡鉄道の線路はすべて取り払われ、線路が載っていた場所に沿って錆色が浮いたバラストがただ続いているだけでした。列車止めさえ撤去されています。線路が取り払われたずっと先、高山方のトンネルのほうに目をこらすと、神岡鉄道のほうのトンネルにはその入口に鉄柵が築かれ、通行不能になっているように見えました。
神岡鉄道の線路跡。
線路跡がずぅっと続く……。
▲わかるでしょうか、神岡鉄道のトンネルのほうには入口に侵入防止の鉄柵が設けられていました。
こんなふうに、神岡鉄道は、間違いなく完全に姿を消していたのです。
いえ、「完全に」というのは厳密ではありませんね。ホームの屋根には、ごく最近掛けたばかりにさえ見えるぴかぴかの「のりかえ 神岡方面」という乗換案内板が残っていました。
いえ、「完全に」というのは厳密ではありませんね。ホームの屋根には、ごく最近掛けたばかりにさえ見えるぴかぴかの「のりかえ 神岡方面」という乗換案内板が残っていました。
やがて11:35、災害復旧成った角川方から列車が入ってきました。高山からの普通列車1825Dです。これが折り返し11:49発高山行き1828Dになります。JR東海色のキハ40とキハ48の2両編成ですが、ホームが一面空いているのに、先ほど富山から到着して12:08の折り返しを待っているキハ120と同じホームへ入ってきて、キハ120にぎりぎり近づいたところで停車しました。へんなの~。
ところで、14日から20日まで出張に出かけるため、記事の更新やコメントへのお返事ができません。あらかじめご理解をお願いいたします。いってきま~す(^_^)/。
キハ120と対面で停車。
▲線路さえ取り払われた駅になぜか真新しい「神岡方面」の案内板だけが残っていました。