毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「出雲」に乗って初詣⑩(最終回)

 2005年1月5日、再び門司港

 だらだら書き進めてきた「出雲」で初詣の旅もやっと最終回。「出雲」がいつ登場したのか、もう忘れてしまった(笑)。

 定番中の定番を削ってまでここでご紹介したいのは、この二枚です!(笑)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024704.jpg まずは門司港「梅の湯」。

 「いや、それも定番ですよ」と言われれば元も子もないのですが(汗)。

 門司港のレトロ定番エリアももちろんよかったのですが、そこを離れて少し山手のほうへ上っていくと、これまた古ーい昔ながらの瓦屋根の木造家屋が狭い小路を隔てながら連なっている界隈が広がっています。自分もここの住人になったつもりになってこのあたりをそぞろ歩くと、定番エリアとはまた違った、なんだか満ち足りたような気持ちになるのです。

 そして偶然見つけた銭湯「梅の湯」。

 最初は目を疑いました。なぜにこのようなところになんの前触れもなく銭湯が?格別大きな建物には見えないし、入口も高さ幅とも普通の民家の玄関ぐらいしかないし、とても客商売をしている建造物には見えません。しかし、確かに「梅の湯 男 女」と染め抜かれたのれんがかかっているし、日が暮れると点灯されるとおぼしき「湯」の看板もある。ここは本当に銭湯なのであろうか…… 休業日や営業時間の表示なんかも出てないけれど、入口に飾られた注連飾りが妙に渋さを演出しているような……

 じっとそののれんの前に立ち、誰か出入りする者がいないかとしばらく待ってみました。そしてもしそこが本当に銭湯ならば入ってみたい、ここでひと風呂浴びてみたいと思い始めました。残念ながら誰も出入りする者はなく、時間の関係もあって中に入ることはしませんでした。
 せめてこのとき、からからと戸を開けて、中をひと目覗くだけでもしておけばよかったと今思うのは後悔先に立たず。この記事を書こうと梅の湯のことを改めてネットで少し調べてみたら、「梅の湯は06年廃業」というショックな情報が!
 いったいどんな浴槽がありどんな脱衣場がありどんな瓶牛乳が置いてあり、どれだけの長い間、門司に住む人たちのふれあいの場所になっていたのか。今はもうそれを知るすべはなくなってしまいました。こんな銭湯のある街、あった街、門司港っていいところだなとまた思いました。

 次に、帰る時間が迫ってきたのですが、最後にどうしてもこれを。

 17時の開店とともに飛び込んで食べた門司港栄町銀天街「山田屋」の焼きカレー

 「焼きカレー」なるものがどんな食べ物なのかそれまで全然知りませんでした。でも門司港の「山田屋」が焼きカレー発祥の地だというではありませんか。「山田屋」って和食屋なのに、なぜに焼きカレー?「梅の湯」に続いてハテナ(?_?)ばかりが続くのですが、とにかくテーブルにつくなり焼きカレーを注文。さらに加えて、「瓦そば」も注文。「瓦そば」なるものは、「いそかぜ」の車中から確か川棚温泉停車中に駅の看板を見て初めて知り、「なんだそりゃ?」と思っていたので、山田屋のメニューにそれを見つけて追加注文したのです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024708.jpg 食べかけでスミマセン。

 きたっ、「焼きカレー」。土鍋であつあつに焼かれて出てきました。カレーピラフっぽいごはんにカレールーをかけて焼いた感じ。上に載っている半熟玉子をくずしてからめて、はふはふっとひと口食べると、うっまーーーーい!おいしいよ、コレ、焼きカレー。辛いわけではないけれど、濃厚というか、ひと口食べるごとに「んーーー」と目が細まるようなというか、とにかく、「焼きカレー」って東京にもあるんですか?「焼きカレー」ってどうしてここが発祥の地なんですか?こんなにおいしいのにどうして流行らないんですかーーーっ?

 続いて「瓦そば」。なんだこりゃーーー。屋根瓦の上にそばがてんこ盛りー(写真がナイ)。そばは茶そばなのか緑色。そばの上には錦糸玉子やら焼き肉やらなんやらトッピングもてんこ盛り。これをざるそばのようにめんつゆにつけて食べますが、麺が温かいのは熱した瓦に載せているから?しかしこれはめずらしい。北国育ちの僕にはそもそも屋根瓦がめずらしい。このあたりの郷土料理か何かなのでしょうか?いや、非常においしいです。おいしいです。でも、すごく多いです。てんこ盛りです。

 めまいがするほど大いに食べて「山田屋」をあとにした頃には、門司港はすでに夕闇に包まれていました。街の灯りやイルミネーションが少しずつ点り始める時間です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024713.jpg 夕暮れの旧大阪商船。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024718.jpg 新年の飾りとともに門司港駅

 東京を寝台特急「出雲」で出発した初詣の旅を締めくくるのは、門司港18:08発日豊本線宇佐行き普通列車2547M。下曽根で降りてバスで北九州空港へ向かいました。新北九州空港の開港が近いことは知っていましたので、おそらく最初で最後の北九州空港利用になるだろうと思い、敢えて帰路は空路を選んだのです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024722.jpg北九州空港搭乗口。

 もうすっかり日が暮れてしまったので空港の全景を把握することはできませんでしたが、とてもこぢんまりした印象の北九州空港。搭乗待合室も、天井が低い狭いスペースに申し訳程度にプラスチックのベンチがあるだけで、待合室から飛行機の姿を望むこともできません。あとはもうそそくさと搭乗するだけです。19:40発羽田行き最終便JAL1830便。機材はMD-87。「2006年3月新北九州空港開業」という広告パネルを横目に見ながら狭い搭乗口を通って機内へ。MD-87もあと何回乗れるかわかりません。

 今回の旅の最後のおまけとしてもっとしっかり北九州空港の姿を目に焼き付けたかったけれど、宵闇の中をJAL1830便はエアボーン。あとは腹が苦しいので、羽田までひと眠りします。