毎日ヶ原新聞

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【社説】桃浦駅に懸かった月

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 3月31日、また二つの鉄道が、姿を消しました。

 鹿島鉄道とくりはら田園鉄道、そのいずれもが、国鉄赤字線(地方特定交通線)や新幹線並行在来線の切り捨てで第三セクター化などされた線区ではなく、大正の昔から独自の鉄道線としてがんばってきた鉄道だという点で、喪失感には格別のものがあります。

 こうして一線また一線と鉄道が廃止になるたびに、その鉄道をいつも利用していた人たちはどうなったのだろう、その人たちが鉄道とともにいなくなったはずはないし、残された人たちは不便をしていないだろうか、困っていないだろうか、といつも思います。

 人間は慣れる生き物だそうです。毎日欠かさずこの鉄道を利用していた人たちも、時が経てば、例えば代行バスに乗ることに慣れて、鉄道のほうが楽だったのになどという記憶はしだいに薄れていくでしょう。もしかしたら代行バスになればもっと便利になるかもしれません。
 しかしながら、きっと、今でもこの鉄道を必要にしている人、この鉄道があったらいいのにと思っている人は必ずいるはずです。そういう人たちを残したままで、(もちろん経営を成り立たせることが最優先の鉄道会社の事情もわかるけれど、)なくなってくれたらいいのにとは誰も思っていないものをなくしてしまうのは、とてもとても残念です。

 2005年9月10日、初めて鹿島鉄道に乗りました。
 霞ヶ浦にいちばん近い駅だと聞いて、桃浦駅で降りました。
 日が暮れかかって、小さな駅舎には黄色い電球が点り、ふと見上げると、駅舎の上には旧暦8月7日の月が懸かっていました。

 列車の来なくなったあの駅舎の上に、今夜も月は懸かっているでしょうか。


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818184952.jpg 鉾田行きが出発していった。