「出雲」に乗って初詣⑧(いそかぜ)
2005年1月4日、特急「いそかぜ」。
出雲市駅構内の出雲そば屋「黒崎」で再び割子そばを食べ(ここもけっこうおいしい)、駅弁「カニ寿司」を買ってホームへ上がります。隣の2番線には13:11発の1028M特急「スーパーやくも18号」がUターンラッシュ対応なのか堂々9両編成で出発を待っていました。
僕が乗るのは、鳥取始発で出雲市13:08発の2013D特急「スーパーまつかぜ3号」。山陰線高速化の旗手、キハ187系気動車に初乗車。見るのも初めて。一瞬ハッとするようなまばゆいイエローとブルーの帯、それとスマートな体つきが特徴でしょうか。ヘッドマークが小さくてしかもLED式なのがちょっと画龍点睛を欠いている感じではあります。
僕が乗るのは、鳥取始発で出雲市13:08発の2013D特急「スーパーまつかぜ3号」。山陰線高速化の旗手、キハ187系気動車に初乗車。見るのも初めて。一瞬ハッとするようなまばゆいイエローとブルーの帯、それとスマートな体つきが特徴でしょうか。ヘッドマークが小さくてしかもLED式なのがちょっと画龍点睛を欠いている感じではあります。
最高時速120㎞を標榜するキハ187系は出雲市から終点益田までの129.9㎞を1時間34分で走り抜きます。
益田と言えば、高津柿本神社、医光寺雪舟庭園など、柿本人麻呂や雪舟にゆかりの地。まだデジカメを持っていなかった頃、羽田から萩・石見空港まで飛び、益田柿本神社からスタートして浜田、江津と柿本人麻呂を偲ぶ旅をしたことがあります。
益田と言えば、高津柿本神社、医光寺雪舟庭園など、柿本人麻呂や雪舟にゆかりの地。まだデジカメを持っていなかった頃、羽田から萩・石見空港まで飛び、益田柿本神社からスタートして浜田、江津と柿本人麻呂を偲ぶ旅をしたことがあります。
「鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらむ」
益田駅からまもなく出発。
1号車普通車指定席、キハ181-8。
残り少なくなったキハ181系気動車で走る「いそかぜ」も2005年2月28日限りで廃止に。この時点で廃止まで二ヶ月弱だったわけですが、まだ「さよならモード」にはなっていなくて、車内はずいぶん空いていました。三両編成で、先頭車両1号車が普通車指定席禁煙車、2号車自由席禁煙車、3号車自由席喫煙車。僕は1号車の海側に陣取りました。「キハ181-8」、長い年月を経てきたオールドナンバーが車内に掲げてありました。14:50、ディーゼルの重々しい音を響かせて、「いそかぜ」はゆっくりと益田を出発。加速はあくまでもゆっくりと。下りの「いそかぜ」は益田から小倉までの174.6㎞を日本海沿いに2時間54分かけて走ります。
宇田郷~木与あたりの海岸沿い。
僕にとっては、日本海と言えばまずは五能線、次に羽越本線なのですが、山陰本線から眺める日本海もなかなか捨てがたい。海が見えている距離が長いというのも山陰本線ならでは。益田から小倉までのほぼ全線を通して日本海が楽しめ、昼間は車内で読書などしていられません(笑)。
益田を出て最初の停車駅は東萩。東萩の次は長門市。05年2月に「いそかぜ」が廃止になって以降、もうこれらの駅に優等列車がやってくることはなくなりました。かつての特急停車駅が一日に何本か普通列車が停まるだけになると、どんなにうつろな駅になってしまうか。東北本線仙台~盛岡あたりのかつての特急停車駅を見てそれは痛切に感じていますが、東萩駅や長門市駅も例外ではないような気がしました。
最初の停車駅は東萩。
長門市を過ぎると小さな半島を越えたり山手に入ったりするのでしばらく海を離れますが、長門二見を過ぎると、車窓には再び日本海が戻ってきます。夕暮れです。雲の間から射していた日の光があかね色に変わってきました。「いそかぜ」、そろそろラストスパートです。
雲の合間からあかね色の光。
そして17:44、関門トンネルをひと息に走りきって、「いそかぜ」は定刻で終点小倉に到着しました。無事完走。高架駅舎がかぶさるホームには「いそかぜ」のゴール後の息づかいがどるどるどる…と響いています。
出雲市から益田まで先に乗った「スーパーまつかぜ3号」に比べると、「いそかぜ」は加速も速度ものろい上に、線路の上を前後左右に跳ねたり揺れたり、乗り心地は決して良くはありませんでした。でもそれは無骨な腕に抱かれたゆりかごであり、その老練な顔を見るとほっとしてしまうのです。
出雲市から益田まで先に乗った「スーパーまつかぜ3号」に比べると、「いそかぜ」は加速も速度ものろい上に、線路の上を前後左右に跳ねたり揺れたり、乗り心地は決して良くはありませんでした。でもそれは無骨な腕に抱かれたゆりかごであり、その老練な顔を見るとほっとしてしまうのです。
さよなら、「いそかぜ」。
「いそかぜ」、終点小倉にゴール。
白抜きの文字が目にしみる。