毎日ヶ原新聞

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清朝のはじまり(ホトアラ城)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818201612.jpg ▲復元されたホトアラ城の内城中枢部分。執政室などが並ぶ。

 世界遺産の「永陵」をあとにして、まさに清朝発祥の地と言える「ホトアラ城」の址へ行ってみましょう。

 前回の記事でも書いたとおり、清朝はまず後金王朝を建てるところから始まります。初代皇帝ヌルハチが後金を建てたのが1616年、それに先駆けて築城したのが「永陵」にもほど近い「ホトアラ城」です。「永陵」と同じく撫順市新賓県にあります。

 1559年に生まれたヌルハチは、成人してより女真族統一の戦いに着手し、1587年にはコランハダ城を建て、自ら女真国淑勒貝勒(貝勒は爵位名)と称して国政を定め建国の基礎を築きます。そして1603年、都をホトアラに遷し、1616年にはついに自ら帝位について後金を建てたというわけです。蘇子河と二道河という二本の川の合流点にあり、三方が川に面したこの城は、内城の大きさ2.5km×4.5km。1634年には興京と改称されました。「ホトアラ」とは満洲語で「平らな丘」を意味します。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818201619.jpg 先祖を祀る廟。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818201632.jpg 執政室・汗宮大衙門。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818201639.jpg 後宮たちが暮らした場所。

 今、ホトアラ城址は広大な公園として整備され、内城の要の部分も復元されています。黒煉瓦造りの広い敷地の隅の方に三つの建物があります。一つは先祖を祀った廟。非常に重要な建物です。それから「汗宮大衙門」。政務を司った場所です。もう一つ、少し大きな建物は後宮たちの暮らした建物。屋内には生活用品なども展示され、約400年前に中国東北地方に起きやがて全国を統一していく王朝の生活がかいま見えるようです。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818201626.jpg 額には満語と漢語の二言語が。

 この広い石畳の敷地を南に抜けると広大な公園になり、その中にさまざまな史跡や、復元された農家などが点在していて、それをぽつぽつと訪ねていくことになります。歩くのが面倒な人や時間のない人のために電動車も用意されていて、簡単に楽に一巡りすることも可能です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818201645.jpg ▲「ホトアラ城址」入り口。満洲語を漢字に当てた文字で記されている。