毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

「出雲」に乗って初詣④(大社駅)

 2005年1月3日、大社駅→出雲大社

 大社線、というのをご存じですか。

 出雲大社の最寄り駅・大社駅と出雲市駅を結んでいた全長7.5㎞のミニ盲腸線です。

 出雲大社への参詣路線として、他線と直通する列車が開業(明治45年)直後から運行されていましたが、いかんせん出雲大社そのものから離れているため、やがて特定地方交通線に指定される見込みとなり、1985年3月には直通する列車は廃止され、とうとう1990年3月31日をもって全線が廃止されてしまいました。

 でも、今も廃止されたときそのままに、1924年(大正13年)に建てられた駅舎やホームや線路が残っています。神社様式による格調ある木造建築はまさに威風堂々という印象です。駅舎前は今は駐車場などになっていて、この日は出雲大社への初詣客の車がたくさん駐車していたので、駅舎全体の写真がうまく撮れなくて残念。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024412.jpg 注連飾りが正月らしい。

 廃止直前の時点では、線内折り返しの普通列車のみ概ね1時間毎の運転で、1日15往復の列車が設定されていたようです。廃止当時の時刻表が駅舎内にそのまま残っていて、出雲市駅での接続列車として急行「さんべ」「だいせん」くにびき」米子行き「いそかぜ」など懐かしい名称も記されていました。
 改札を抜けると、今にも列車がやってくるんじゃないかと思えるほど、昔と少しも変わらないホームと線路の姿がありました。駅名標も、改札口も、きっぷ売場も、チッキの受付口も、何もかもが昔のままで、ただ列車だけが来ない。廃線後も丁寧に保存されてもらっている駅舎たちはしあわせですが、来ない列車をいつまでも待ち続けることを、駅舎たちは喜んでいるでしょうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024416.jpg ホーム側から駅舎を眺める。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024420.jpg 駅名標の力強い字体。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024425.jpg 天井の高い和風の駅舎内。

 さて、出雲市駅から大社線に乗り、大社駅に降り立ったつもりで、僕は大社駅から徒歩で出雲大社へ向かいました。駅前の道路に出ると、片側一車線の狭い道路は初詣へ向かう車で大渋滞中。なんだ、これなら歩いて行ったほうがずっと早い。

 渋滞に難儀する自家用車の長い列をするすると追い越しながら堀川を渡ると、出雲大社の大鳥居。「1915年(大正4年)、小林徳一郎氏(仁多郡出身)が神門通り両側の松280本とともに寄進」したとか。鉄筋コンクリート製で高さ23メートル、柱の直径約2メートル、中央の額面は畳6畳敷。学生時代ずっと6畳一間に住んでいた者としては少々複雑。あれっぽっちかよっ!

 大鳥居をくぐり、一畑電鉄出雲大社前駅を通り過ぎ、まっすぐまっすぐ北へ向かって歩いて行くと、いよいよ出雲大社です。勢溜(せいだまり)には木造の鳥居があり、これをくぐれば出雲大社の神域に踏み込むことになります。勢溜には参道の両脇にずらりと露店が並び、初詣客で大にぎわい。あやうく参拝を忘れて露店での買い食いに走るところでした(^_^ゝ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024429.jpg 1915年建立、大鳥居。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190819/20190819024434.jpg 勢溜の鳥居。初詣客で大混雑。