毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

青春18きっぷ最後の一枚⑥(霞ヶ浦に懸かった月)

イメージ 1 ▲鹿島鉄道桃浦駅に七日の月。

 2005年9月10日、青春18きっぷ最後の一枚。

 鉾田駅(ステーション・ホコタ)から17:41発の鹿島鉄道34レに乗って、たい焼きに後ろ髪を引かれる思いで出発し、ごとんごとんと揺られること約30分、霞ヶ浦にほど近いという桃浦駅にやってきました。

 18:12に34レが桃浦駅を去ってしまうと、一面二線のホームがそこに残りました。行き違いが可能なホームと、その線路の向こうに小さな木造の駅舎。日はもうほとんど暮れてしまい、駅舎の真上にぽっかりと月が浮かんでいます。この日は七日月でしたから決して大きな月ではないはずなのですが、雲がなくくっくりと晴れているせいか、とても明るく輝いています。駅舎の内側を照らす白熱灯の明かりの黄色さがそのせいで際立ち、昼から夜へと移り変わるその瞬間の桃浦駅の風景がそこにありました。

イメージ 2 ▲暮れきる直前の桃浦駅ホーム。

 霞ヶ浦にいちばに近い駅、桃浦。

 線路を越えて駅舎の向こう側へ歩いて行くと、確かにすぐに霞ヶ浦のほとりに出ました。もっと明るい時間帯に来られたら受けた印象も違ったかもしれませんが、夜道を歩いて突然現れる霞ヶ浦という夜のシチュエーションもまた独特の印象がありました。

 霞ヶ浦のほとりに出たその時は、空はまだ完全には暮れきっておらず、西の端にかすかに日の光が残っていましたが、それもすぐになくなって、やがてすっかり闇が下りました。霞ヶ浦の真上には七日の月が懸かり、暮れきるまでは日の光とともに輝き、暮れきってからは月光を水面に映し、初めて見る霞ヶ浦の姿は実に幻想的で、長い間ほとりにたたずんで移り変わる光の輝きや揺らめきを楽しみました。

イメージ 3 ▲残光と月光の共存する霞ヶ浦。

イメージ 4 ▲やがて闇が漂い始めて。

 同じ道を歩いて桃浦駅へ戻ると、ちょうど18:43発の鉾田行き35レが出発していったところでした。

 こちらはもうしばらく駅舎で待ち、19:06発の石岡行き36レに乗ります。小さな駅舎の中はL字形の木のベンチがあるだけの質素な造りで、鉾田駅同様手書きの列車時刻表が掲げられています。改札口の年季の入った鉄柵が比較的新しい駅舎とは対照的に古さを際立たせています。きっとこの駅舎は後年建て替えられたのでしょうね。

イメージ 5 ▲走り去る鉾田行き35レ。

イメージ 6 ▲桃浦駅の駅舎の中。

イメージ 7 ▲すっかり夜になりました。

 やがて列車が到着です。やはりKR-500形ですが、カラーリングは白に青帯です。

 終点石岡までは約20分ちょっと。19:23に石岡に到着しました。JRのホームに並ぶようにして存在する鹿島鉄道ののりばは、ホームに下りたとたんに昭和にトリップしたような錯覚に陥るたたずまいでした。文字がかすれかかった駅名標、木組みの柱、いつから出ているのかわからない手書きで古いデザインのローカルな広告たち。そんな看板のすぐ向こうを「スーパーひたち」が駆け抜けて行っても、ここだけは取り残されたように、温かく懐かしい風情が色濃く残っていました。

イメージ 8 ▲石岡行き36レ、KR-500形。

イメージ 9 ▲終点石岡。

 石岡駅前の食堂で食事を済ませ、20:50発上野行き464Mで都心へ戻ります。早朝千葉駅からスタートした房総半島一周+鹿島臨海鉄道+鹿島鉄道たい焼き食べ損ねの旅は、約16時間を経た上野駅で終了しました。青春18きっぷ最後の一枚、天気に恵まれて、とてもよい旅になったような気がします。

イメージ 10 ▲どこか雑多な感じが温かく懐かしい、鹿島鉄道の起点であり終点の石岡駅。