毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

青春18きっぷ最後の一枚⑤(たい焼き~(T_T))

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818195504.jpg ▲鹿島鉄道の終点・鉾田。2007年3月31日を最後に姿を消した。次の駅は坂戸……って、東武東上線?(笑)

 2005年9月10日、青春18きっぷの最後の一枚。

 さて、JRで鹿島神宮駅に到着したので、反対側のホームに入っている鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の16:20発水戸行き172Dに乗り換えます。

 鹿島神宮から鹿島サッカースタジアム(旧・北鹿島)までの3.2㎞はJRで、そこから先水戸までの53㎞が鹿島臨海鉄道大洗鹿島線といういささか風変わりな路線は、貨物専用鉄道からスタートし国鉄との関係などもろもろがあった結果でしょう。

 初乗車の鹿島臨海鉄道6000形気動車に揺られること約40分弱、新鉾田に到着です。新鉾田は周りの風景にはちょっとマッチしない感じのコンクリートの高い高架の上にある駅。地上に下りて鹿島鉄道鉾田駅を目指します。

 地図も見ずにやってきたので、だいたいの位置関係ぐらいしか頭に入っておらず、おかげで道に迷いました。迷わず歩けば1.5㎞ぐらいのところですが、鉾田川にかかる新七瀬橋を渡って右へ行くべきところを左へ折れてしまい、行けども行けども周囲は田んぼばかりになってしまい、これはさすがに道が違うと思ってようやく道行く人に尋ねて迷っていることを知り、ようやくリカバリーして鉾田駅にたどりつくことができました。あー歩いた歩いた。たっぷり30分は歩いて途中でのどが渇いたので酒屋さんでまた缶ビールを買っちゃいました(^-^)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818195511.jpg やっとたどり着いた鉾田駅。

 少し暮れ色になってきた空を見上げながらたっぷり歩いてようやくたどり着いた鉾田駅。この屋根の形はインパクト大。いったいこの屋根のモチーフはなんなのでしょう??

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818195514.jpg ▲ホコタ・ステーションなのではなく、ステーション・ホコタなのであった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818195519.jpg ▲昔ながらの時刻表が懐かしくて懐かしくて。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818195526.jpg 改札を抜けた駅舎はこんな感じ。

 ところでこの鉾田駅には有名なたい焼き屋さんが隣接していると何かの雑誌で読みました。僕はそのたい焼きが食べたくてこの日ここに来たのです。2年前のこの頃は鹿島鉄道が廃止になるという話は聞いていなかったので、僕の目的はあくまで「たい焼き」でした。鉾田名物「たい焼き」を買って17:08発の列車に乗る、これがこの日に組んだ日程でした。

 しかーし(ー_ー)。道に迷ったせいで予定の列車に間に合わなかったばかりか、たい焼き屋さんもぎりぎりのところで17:30に店じまいしたばかりで、たい焼きにもありつけず、超がっくりー。しかも結局一度も食べたことがないまま鹿島鉄道は廃止になり、このたい焼き屋さんもなくなったと聞きました。このたい焼き、今はもうどこにも食べられるところはないのでしょうかっ??

 そういうわけで、鉾田からは17:41発の列車に乗ることにしました。クリーム色に赤い帯のKR-500形気動車単行の石岡行きです。

 暮れ色が濃くなってきました。列車はまもなく出発です。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818195530.jpg ▲鹿島鉄道KR-500形、石岡行き。

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                    ▲暮れ色が濃くなってきた空の向こうへまもなく出発。