名残の「彗星」、そして火祭り(その21;青森到着)
2005年9月1日、青森到着。
この部分は「青森へ帰ろう」の書庫に入れるべきなのかもしれませんが、九州旅行の一部を成すので、やはりこのままここで書きます。
敦賀を出発してからどこで眠ったのか覚えていませんが、敦賀の次の停車駅・福井まで起きていたかどうか。そして、どこで起きたかも覚えていません。鶴岡の手前でおはよう放送のはずなのでそれで一度は目を覚ましたのだと思うのですが、それからカーテンを開けるでもなく、客車の静かな揺れにただうだうだと寝台の上にごろごろしていました。早起きをしなくてよい夜行列車の朝のだらだらタイムはなんともしあわせです。
きっともう日は高く上がったことでしょう。秋田を08:46に出発し、八郎潟、東能代、鷹ノ巣、大館、弘前と停車し、途中浪岡での運転停車などがあって、最後の弘前~青森間はたっぷり42分かけてのゴールインです。
「昔ながらの」、という感じ。
ローズピンクがたまらない。
今や貴重な開放式A寝台もあり。
前夜敦賀では暗闇でしか見られなかったEF81-48を青森駅のホームで白昼改めて見てみると、あいかわずホレボレするローズピンクです。まさに「原色」と呼ぶにふさわしい貫禄あふれる車体にしばし見入ってしまわざるをえません。
編成の先頭で走ってきたカニ。
青森駅に到着すると、さっそく機関車の切り離し。連結が解かれると、EF81-48は少しだけ前に進んで、先頭車両のカニとの間に隙間をあけます。すると、EF81-48の反対側にもしっかりと「日本海」のヘッドマークがセットされているではありませんか。この日の夕方、「日本海2号」として大阪へ向けて出発するときには、こちら側のヘッドマークが先頭に立つというわけです。
もう正午を過ぎた物憂げな青森駅のホームをのんびり歩いて帰宅することにしましょう。九州旅行を終えて、この日から数日間、実家での夏休みです。