毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

名残の「彗星」、そして火祭り⑰(「彗星」、ゴール。)

イメージ 1 ▲「彗星」、終点京都に定刻到着。
 
 2005年8月31日(水)、京都。

 南宮崎駅から「彗星」に乗った僕は、大分駅を出てしばらくして眠りに落ちたようです。

 本当は門司や下関での機関車付け替えも見たかったけれど、目覚めてみれば明けて8月31日の朝の光がもう車窓から射していました。「彗星」は、編成が「あかつき」をくっつけていつの間にか11両になり、「あかつき」のレガートシートとEF66を先頭に、残暑厳しい関西圏をラストスパートの走りに入っているようです。

イメージ 2 ▲「彗星」で一夜を過ごしたのは5号車5番下段。

 三ノ宮に停車しました。平日の朝のラッシュが始まろうとしていますが、学校の夏休みはこの日が最後。学生の姿はまだ少ない気がしました。こちらも歯磨きをして顔を洗って、降りる支度をしなければなりません。

 三ノ宮を出ると大阪、新大阪と停車して、いよいよ終点京都です。

 京都には07:53、定刻到着。平日だからかいつもこうなのか、京都駅のホームに降り立った人はぱらりぱらりといった程度。いや、きっと乗客の多くは大阪や新大阪で降りてしまったのでしょう。京都まで乗り通す人はそんなにいないんだな。乗車率はきっと悪くなかったに違いない。そんなふうに自分に言い聞かせます。

 ホームにどれだけとどまっているのかわからなかったので、大急ぎで5号車から14号車まで走り、先頭の機関車をカメラに収めます。
 下関から「彗星」と「あかつき」を牽いてきたのはEF66-47。ED76とはまた印象が違って、ブルーのいかつい車体にヘッドマークの流れる彗星のイエローとレッドの暁が鮮烈なアクセントになっています。

 このヘッドマーク、なんだかまだ真新しいようにも見えます。それもそうでしょう。「彗星」と「あかつき」の併結運転が始まったのは2000年3月。走り始めてたった5年半で、このヘッドマークはもう見られなくなるのです。

 「彗星」廃止まであと一ヶ月。あともう少ししかないけれど、頑張って走るんだよと心の中でこっそり「彗星」に声をかけて、京都駅のホームをあとにしました。

イメージ 3 ▲平日朝のラッシュのさなかに京都駅にすべりこむ。

イメージ 4 ▲がんばれあと一ヶ月。さよなら「彗星」。