毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

名残の「彗星」、そして火祭り⑯(「彗星」、東へ!)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818112635.jpg ▲静かな車内、外は雨。

 2005年8月30日、「彗星」は東へ流れて。

 17:25、京都行き寝台特急「彗星」は定刻に南宮崎を出発しました。たった四両しかないのに、乗客はとても少なく、車内はしーーんと静まっています。それだけに車輪がレールを刻む音や、デッキの向こうでがちゃがちゃと響く連結部分の音が際立って聞こえ、寝台に足を投げ出して車窓の外を眺めながら(雨の雫が流れて外はよく見えないのだけれど)、ああ長い旅をしているな、と実感させてくれます。

 最初の停車駅は一駅隣の宮崎駅。ここでもたいした乗車はありませんでした。雨は降り続いています。寝台車の丸まった屋根に雨の当たる音が聞こえます。かたんことんと、「彗星」は急ぐでもなしに日豊本線を北上し続けます。

 雨が上がりました。

 南宮崎を発ってちょうど一時間、「彗星」は18:25に日向市駅に到着し、「にちりん17号」と交換のため6分停車の小休止です。先頭の機関車ED76-69を見に行ってみると、まだ雨水を全身にまとったまま静かに息を整えています。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818112639.jpg日向市駅で交換待ちの6分停車。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818112643.jpg ▲雨は上がったけれど、そぼ濡れたままのED76。

 「にちりん17号」と交換して日向市を出た「彗星」は、南延岡、延岡と停車して、いよいよ宗太郎越えにかかります。このあたりから夜のとばりが落ち、人家の少ない県境の山越え区間は車窓も真っ暗で何も見えません。
 しかし、写真は一枚もありませんが、しっかりと書いておかなければならないことがあります。
 宗太郎越えを終えた「彗星」は、19:35に重岡駅運転停車をするのです。しかも、なぜかはわかりませんが、上りの「彗星」は、重岡駅に停車する列車でも滅多に使わない、だからこそ映画「なごり雪」のロケでもっぱら使われた3番線に停車するのです。「彗星」の窓からは、ホームにある木造の待合室(3日前に待合室のゴミ箱に捨てた缶コーヒーの空き缶がそのまま残っているのが見えた)や駅名標が薄暗い電灯にぼんやりと浮き上がるように見え、まるで映画「なごり雪」の中で臼杵駅に到着した列車の乗客のような気持ちになり、なんだかとてもうれしくなりました。

 下りの「にちりん」が行ってしまうと、「彗星」はかたんとひと揺れして、また静かに動き始めました。短い編成をくねらせて2番線からの線路に渡り、本線に合流します。「彗星」ではもちろんのこと、他の列車であっても、重岡駅の3番線を経験することはこの先もう二度とないだろうなとふと思いました。

 いつもなら寝台列車に乗ればやれ駅弁だやれつまみだやれビールだワインだと寝台のテーブルに所狭しと食料品を広げるところですが、今回は午後3時頃にチキン南蛮セットとハンバーグカレーを食べてしまったので腹も減らず、南宮崎で買った缶ビールだけで静かに時が過ぎていきます。

 南宮崎を出て約4時間、「彗星」は大分駅に滑り込みました。停車時間は9分。この間に機関車の付け替えが行われます。下りだとEF81からED76へ替わるところですが、上りはなぜかED76から別のED76へ。どちらも所属は同じ豊肥久大運輸センターで、いったいどういう仕業で大分での付け替えがあるのでしょう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818112648.jpg南宮崎からのED76-69が切り離されると、灯りのついたヘッドマークが現れた。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818112653.jpg ▲夜9時を回って、大分駅もどこかひっそりと。

 大分から門司までの牽引を受け持つのはヘッドマークなしのED76-94。連結を終えて準備が整えば、21:22、大分駅出発です。

 このあと門司着は23:28で、時間的にはまだまだ起きていられる時間。EF81への付け替え作業も見たいところですが、翌日も長い行程が待っていることもあって、宇佐の到着も覚えていないほどさっさと眠りについてしまいました。今から思えば、「彗星」と「あかつき」の併結作業は無理をしてでも見ておけばよかったと後悔することしきりです。もうお願いしても祈っても二度と見られないというのに……

 こんなふうにして、「彗星」の夜は更けていきました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mainichigaharu/20190818/20190818112658.jpg ▲大分からはED76-94が門司まで牽引を担当。