青森を拠点にどさまわり②(7月6-7日・岩木山)
【2009年6月24日の追記】
寝台特急「日本海」がまだ2往復体制だった頃の07年7月6日、富山から「日本海1号」に乗ったときの記事です。「日本海」に富山という途中駅から乗ったのはこれが初めて。富山のうまい酒とうまい肴をたっぷりいただいたあとの寝台車ではぐっすり眠れました。翌朝も天気がよく初夏の晴天に広がる岩木山と青々とした津軽平野の田んぼも印象に残っています。今はなきJR西日本車の「日本海」がなつかしいですね。
それでは今日のリバイバル記事をどうぞ。
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富山では仕事をちょいちょいっと済ませて、相手方と一緒に食事に繰り出しました。相手方が連れて行ってくれたのは、富山駅から歩いて5分ばかりのところにある小さな料理屋。銘酒「立山」をはじめいくつかの冷酒に富山湾の新鮮な魚介類、それはもう、ああ日本に帰ってきてよかった!って感じ(^-^)。いや、とにかくおいしいんですよ。自家製ホタルイカの沖漬け、白エビの唐揚げ、新鮮なお刺身などなど。しかしなんと言っても極め付けはノドグロの塩焼き。おそらく初めて食べたのですが、あまりのおいしさに卒倒しそうになりました。魚の塩焼きがこーーんなにおいしいなんて!信じられないほどのおいしさに、富山に来てよかった~と涙。
酒も料理もあまりにおいしいので、すっかり酔っぱらって時計を見れば夜9時半。何もなければまだまだこれからという時間ですが、この日はそうは言っていられません。相手方もかなり酔っぱらい、一人は駅まで送ってくれましたが、もう一人はいつの間にか行方不明になってしまいました。
17:47に大阪を出発した「日本海1号」はEF81に牽かれて定刻到着。この日は基本編成の8両+カニの編成のようです。このあと反対側のホームから出る22:53発の泊行き普通列車571Mで魚津の自宅へ帰るという酔っぱらいの相手方に見送られ、僕は7号車のB寝台下段に落ち着きました。向かいの寝台にはもうカーテンを閉めた乗客がいるようですが、車内は全体的に空いています。魚津停車中に車内の写真を一枚撮って、僕ももう休むことにしました。おやすみなさい。爆睡(-。_)。。o〇(-。_)。。o〇。
魚津停車中の「日本海1号」。
ふと目を覚まして時計を見ると、午前3時半を回ったところ。驚いたことに、こんな時間なのに外はもううっすらと明るくなっているではありませんか!車窓の景色は、まさに地球が目覚めんとするその直前といった仄明るさです。本当に根性のある人ならばここでこの美しい窓外の風景を写真に撮ろうとがんばるところでしょうけれど、根性なしの僕はトイレに行って再び布団にもぐりこみました(^_^ゞ。その寝入りばなにどこかに停まったような気がしましたが、それはきっと酒田であったでしょう。
次に目を覚ましたのは、東能代到着前のおはよう放送。6時を回ったようです。しかしそれでも起きずにいつまでも寝台の中でぐずぐずし、ようやく起き上がったのは弘前を出てから。がばっとカーテンとブラインドを開けると、なんと外は雲一つない快晴で、青々とした田んぼやリンゴ畑の向こうにくっきりと岩木山が見えています!こんなにすがすがしく見える岩木山は久しぶりです。歯磨きと洗顔もそこそに、列車が川部を過ぎて岩木山が徐々に遠ざかって見えなくなるまでずっと車窓の外に見入ってしまいました。
朝目覚めたら岩木山。
そして08:32、青森駅1番線に定刻到着です。少し前まで、この「日本海1号」は函館まで走っていましたが、今や全車両が青森止まりで少し寂しくなりました。大阪から牽引してきたのはローズピンクのEF81-106。側面を見るとばっちり敦賀の「敦」のプレートが差されています。なんというか、車体のローズピンクといい、ヘッドマークの紺色といい、決して褪せたのでもなく煤けたのでもなく、貫禄と重厚さが滲み出ていて、いつ見てもホレボレしてしまいます。
老練のEF81-106。
敦賀所属を示すプレート。
いいですよねー、この色。
機関車は青森に到着するとすぐ切り離されて海のほうへ引き揚げていってしまいます。そのあとに現れる8号車のヘッドマークの「日本海」という文字の鮮やかな黄色がまた、たまらん(^-^)。寝台特急あまたあれど(今は「あまた」じゃなくなっちゃったかな)、僕にとってはやはり寝台特急「日本海」がエース級です。何回でも乗りたくなるし、何回乗っても素晴らしい寝台列車の旅を提供してくれます。今回もこうして故郷・青森まで運んできてくれた「日本海1号」にお礼を言って、ホームを離れました。
「日本海1号」8号車B寝台。
かつて「函館」と表示されたことも。
▲1023.4キロを走り終えて青森駅1番線でしばし息を整え、あとは操車場に引き揚げて夕方まで一休み。