毎日ヶ原新聞

日本全国、時々中国、たまにもっと遠くへ、忘れちゃもったいないから、旅の記録。

名残の「彗星」、そして火祭り①(出発)

イメージ 1 ▲東京駅にて、博多行き最終の「のぞみ」。わくわく。

 2005年8月26日(金)、東京駅。

 おととし(2005年)の夏休みに出かけた九州旅行のことを書こうと思います。

 この年の夏も、なかなかの猛暑でした。猛暑なのになぜに敢えて南へ向かったか、それにはもちろん理由があるのですが、まずは東京駅から出発しましょう。

 金曜日の夕方、周りの同僚たちにまたも「ごめんね、ごめんね、あとはよろしくね」と残った仕事を押しつけて、退勤時間になるやいなや都内某所の職場を出て、地下鉄で東京駅へ向かいました。

 2005年の夏休みの始まりは東京駅発の最終の博多行きである18:50発の「のぞみ33号」。15番線に入っているJR西日本持ちの700系がそうです。まずはこれで小倉まで。東海道・山陽新幹線を東京から九州まで乗り通すのはこれが初めて。九州どころか、東京から通しで西明石より西へ行くこと自体が初めてです。小倉までは4時間49分。夜間走行ですから車窓はあまり楽しめませんが、700系に身を任せて西を向かうことにします。

イメージ 2 博多行きの最終です。

 が、しかし。

 例によって駆け込みだったので、駅弁など食料の調達ができずにまたも乗ってしまいました。まあ新幹線は車内販売がしょっちゅうあるからいいやと楽観していたのですが、二人掛けのシートの窓際(E席)に座った僕の隣(D席)のお兄ちゃんは、A~C席に座っている三人組のおねえちゃんたちと一緒のグループで、通路を挟んでずぅーっとおしゃべりを続けています。だもんで、気の小さい僕は、時折通りかかる車内販売に声がかけられず、いつまで経っても何も買えませんでした(T_T)。

イメージ 3 初めての九州直通乗車。

イメージ 4 「のぞみ33号」はJR西の700系。

 さすが博多行きの最終列車、しかも金曜日の夜だけあって車内は東京発の時点でかなり混んでおり、新大阪で乗客が入れ替わって混雑は続き、岡山、広島でようやく空席が目立ってきました。隣の四人組も広島で降りたので、さあいらっしゃい車内販売!しかしその頃には車内販売のワゴンの搭載品はとーーっても寂しい状態になってしまっていて、買えたのは「じゃがりこ」一箱と缶ビール一本だけでした(T_T)。

 空腹も限度を越えた23:39、小倉到着です。ホームに降りると、もわわわーーーんと湿って重たい熱気がまとわりつき、ううううあづいよう~~(T_T)(T_T)(T_T)。

 空腹+熱帯夜の波状攻撃にへろへろになりながら在来線のホームへ下り、待つことしばし。やってきました第二ランナー、小倉23:50発の5097M特急「ドリームにちりん」宮崎空港行きです。車輌は783系ハイパーサルーンの5両編成。金曜の夜の小倉駅はまだまだ人が多く、僕は2号車の指定席におさまりましたが、「ドリームにちりん」も自由席のほうは立ち客が大勢。僕のほうはようやく「じゃがりこ」と缶ビールです。
 金曜の夜をそれぞれに楽しく過ごした人たちを行橋、宇島、中津、柳ヶ浦、宇佐、杵築と運び、車内の混雑は午前1時を回った別府、大分まで続きました。

 日付が変わって8月27日(土)、金曜日の帰宅輸送という使命をほぼ終えて、乗客もずいぶんと減った「ドリームにちりん」は、静まりかえった大分駅で約2時間の小休止です。僕は隣の席が空いていたので上半身を倒して眠っていたのですが、大分の発車時刻が近づいてきたら隣の席の指定券を持った人がやってきて起こされてしまいました。大分からの利用なんてのもあるんですね~。

イメージ 5 ▲深夜の大分で大休憩の「ドリームにちりん」。

イメージ 7 宮崎空港到着は朝7時近く。

イメージ 6 ▲真夏の夜の大分駅の静寂。

 大分から更に走ること約2時間、「ドリームにちりん」は、まだ夜が明けたばかりの南延岡に到着しました。「ドリームにちりん」はここから先、もう1時間20分ほどかけて宮崎空港を目指しますが、僕はここで下車です。時間は朝05:35、ホームは少しひんやりとした風はあるものの、それでもこの時間にしてはもうじゅうぶんに暑いです。ああ、また猛暑の一日が始まってしまう……

イメージ 8 早暁の南延岡に到着。

 南延岡駅のホームから「ドリームにちりん」が去ると、隣にはタンク車3両をつないだだけのED76-1011機が姿を現しました。真紅のED76、九州に来た!って感じです(^-^)。

イメージ 9 ▲これぞ九州、EF76-1011にタンク車三両。